2003年9月
ここでは"祭りの写真/心理学の日記"と題して2002年12月から開始したひまんじんネットの日記の過去ログを提示する。対象となる期間は2003年9月。
| 科学者・技術者の典型とエニアグラム(その15) | 2003年9月30日(火) |
| ひまじんネット | |
今日は晴。左は飛鳥ルネッサンスフリー切符のパンフレット。近鉄電車、それから明日香村を中心とする広い範囲のバスのフリー切符だ。昨日の続きだが、仮説(1A)は4つの内、最も、尤もらしくない仮説である。仮説(1A)への反論は仮説(2A)を擁護する事で自動的に行ったが、今一度、RisoとHudsonの最新作"Discovering Your Personality Types"を見よう。RisoとHudsonはタイプ5に関し以下の様に述べている。◆タイプ5はまさに最も自立的で特異的な性格タイプ、即ち"孤立者"や"不適合者"とでも呼ばれ得るタイプである。タイプ5は自身の探究心の赴く限り何処までも興味や関心を追求するから、他の人々とは異なる理想に向かって進む。タイプ5のある者は他人には変人に映るし、またある者は変な側面を隠す。しかし何れにしてもタイプ5は、己を魅了する疑問や観念をはっきりと追求しており、それ故に人間関係や経済は余り重要でなくなってしまう。 タイプ5は独居的な異端児として描かれている。とすれば、そもそもタイプ5が9/13に挙げた様な科学者・技術者の典型となるのに、タイプ4の要素はもはや必要ではない。また9/14にはMBTIに於けるタイプ5に似たINTP・INTJの記述を引用しながら、その貴族意識めいた側面にも触れたが、これはどんなタイプにも恵まれた環境に置かれれば生じ得る事と考えるのが自然で、特にタイプ4の影響があって初めて生ずるとは考え難い。さっきの"Discovering Your Personality Types"にも、タイプ5に関する説明の中にelitistなる語がある。 仮説(2B)も余り尤もらしい、とは思えない。これへの反論は仮説(1B)を擁護する事で自動的に行ったが、そもそも9/15に触れた様な"寄らば大樹の陰"式の発想を優先するならば、もっと手順が明瞭に指示されている経理・法務等文科系寄りの職種、或いは理科系であっても研究補助員の様な職種が望まれる筈だ。科学技術の最前線では寧ろ、目標はあっても手順が明確でない場合が少なくない。 これに比べ、9/16に触れた「である」と「になる」は凡そ組織的に行われる科学技術の仕事には常に付き纏う話である。しかし、だからと言って科学技術がタイプ6寄りの5に向いている、とするのは飛躍だ。これは血液型性格論に対するプロの心理学者の反論の粗雑さを見ても分かるのだが、「科学技術は自宅よりも研究"機関"で行われるから集団的活動である」、と言う考えが食事や睡眠に比べ仮に真の命題であるとしても、文科系寄りの仕事がもっと公私を曖昧にしつつもっと集団的に行われる現実を見れば、相対的な意味でかかる命題は偽、と見做すべきである。即ち科学や技術は、その最前線的な段階にあっては個人の発想力や思索力、言い換えるとかなり自己指令的な精神に拠っているが、これはどちらかと言えばタイプ6の敬遠する所ではなかろうか。但し科学的・技術的な活動と言えども、実用段階に達した技術に於いて滞りなく運転する管理能力が問われる場面では、タイプ6の要素の存在は有利に働くかな、と思える。 結局仮説(1A)・(2B)とも、尤もらしくは思えぬが、科学技術の場面を特定すれば後者が有利になるケースもあるかも。 なお、"血液型性格論に対するプロの心理学者の反論の粗雑さ"だが、こうした反論は性格を記述する方法論に共通する問題の指摘に留まっており、緒論の中で特に血液型性格論を偽とする様な論理の展開は見られない。従って、JungやKretschmerやEysenckや最近のBig Fiveがそうした反論の中で先に倒れ、血液型性格論が最後迄生き残る可能性もないとは言えない。血液型性格論を論破するならば、その不利な面を相対的に明らかにすべきである。 | |
| 科学者・技術者の典型とエニアグラム(その14) | 2003年9月29日(月) |
| ひまじんネット | |
今日は晴。左は奈良方面のフリー切符の案内。奈良県内観光地巡りは電車だけでは出来ないから(歩くとしんどい)、奈良交通バスとセットになったフリー切符もある。さて筆者は9/12から昨日まで延々、そして今日も"科学者・技術者の典型とエニアグラム"なる題名で日記を書き続けてきたが、仮説をもう一度挙げると、科学者・技術者の典型は (1A)w4故に5w4である (1B)w6でないと言う意味で5w4である (2A)w4でないと言う意味で5w6である (2B)w6故に5w6である とする4つであった。エニアグラムの世界での定説は(2A)か(2B)のようだが、筆者が4つの仮説を自分で読み直して自然だ、と感ずるのは(2A)→(1B)→(2B)→(1A)の順。要するにタイプ5が科学者・技術者の典型となるならば、かかるタイプ5は基本的に純粋なタイプ5であり、ただ敢て言えば、タイプ4の要素の濃いタイプ5は科学技術以外の世界に関心を持つ可能性が高い。その分、5w6は科学や技術に傾いてはいるが、それはあくまで相対的な意味。タイプ6の要素が科学技術への関心を高める、とは到底思えない。今迄の日記の繰り返しになるが、その理由を整理しよう、と言いたい所だが、疲れたので今日はここ迄。 | |
| 百毫寺/科学者・技術者の典型とエニアグラム(その13) | 2003年9月28日(日) |
| ひまじんネット | |
今日は好天であった為、百毫寺(左)へ。百毫寺は奈良駅からずっと西、大文字焼の行われる高円山山麓にある寺であり、春の椿、秋の萩、そして閻魔王坐像を始めとする文化財で有名。さてKeriseyのNFタイプはタイプ5的、そして科学者・技術者の典型でもあるNTタイプと、直観型と言う側面を共有しているが、TFの違い故前者は後者よりも遥かに直観的である。先ず、NFタイプの言葉癖に関する記述の一部を引用する。 ◆理想主義者タイプは観察した事物については殆ど語らない。代わりに心の眼に映る物の話をする。即ち愛と憎悪、天国と地獄、喜劇と悲劇、心情と魂、伝説、時代、信条、想像、可能性、象徴、自分自身、気質、人格、性格等。 ここ迄でもうNFタイプの関心事が科学技術とは大いに異なる事が分かる。それは論理的な世界ではなく、論理を超えた直観によって把握する世界である。Keirseyは続ける。 ◆理想主義者タイプは考え方や話し方に於いて帰納的である。言い換えると理想主義者タイプは部分から全体へ、少数の例から包括的な一般論へ、僅かな兆候から全体像へ素早く移る。理想主義者タイプは未だ見ぬ者にその焦点を当てているから、示唆的・象徴的な物事のヒントに良く気付く。この様な帰納的推論は直観飛躍に基づいているから、他人は読心術や超能力の様に思ってびっくりする。 飛躍が必須だから、帰納的推論は直観的。実に自然な解釈である。ところでNFタイプにはENFJ・ENFP・INFJ・INFPの4つがあるが、ここでの目的はタイプ4の特徴をMBTIの視点で改めて浮き彫りにする事にあるから、INFタイプの中に特に直観が突出していると思われる面を探ってみよう。そうするとINFJ(カウンセラータイプ)は以下の様だ。 ◆活き活きとした想像力の故に、カウンセラータイプは最も詩的、いやそれどころか神秘的なタイプと見られている。カウンセラータイプは異様な程の想像力を駆使して小説、戯曲、詩の様な複雑で美的な創作物を作り出す。実際、カウンセラータイプはリベラルアーツを専攻する事が多く、職業としての創作に惹かれる。 而るにINFP(ヒーラータイプ)は以下の様だ。 ◆ヒーラータイプは美醜、善悪、道徳と不道徳に関心を向けている。ヒーラータイプはそうした印象を滑らかで全体的でぼんやりとした感じとして受け取っている。比喩はヒーラータイプにとって自然な物だがそれだけに独り善がりになっている事もある。ヒーラータイプは象徴の解釈と創出に関する能力に恵まれているから、しょっちゅう詩的創作を行っている。ヒーラータイプは論理をあたかも単なる付属品の如く、確信犯的に無視する様にも見える。 INFタイプは、日本ならば明治を舞台とした小説に描かれる古典趣味の教養人だ。しかし、こうした傾向は実社会では単なる無能者の印象を与えるだけであり、特に仕事の場面では余り歓迎されない。更に繰り返しになるが、科学技術の世界で必要な、物事の一貫した関係を求める精神とは符合しない。科学技術の世界では寧ろ職人的なSPタイプや風紀係の様に細かいSJタイプがまだまし、と思える程だ。実際、3/24〜3/27の日記に示した様に、NTタイプはN、つまり直観的なタイプではあるが最も論理的であり、NFタイプはその逆、つまり直観的で、SP・SJがその中間に位置する、とさえ思える。だからそうした印象が正しいならば、且つエニアグラムのタイプ4・5をMBTIのNF・NTタイプと見做せるならば、科学者・技術者の典型はタイプ5であったとすると、少なくともウィングとしてのタイプ4の部分は多く有していないだろう、と推定出来る。 | |
| 疲れた | 2003年9月27日(土) |
| ひまじんネット | |
今日は晴。左の「奈良を習おう」はJRの観光案内だ。中心街にあって尚古い街並みの残る奈良町から奈良観光の中心・東大寺と奈良公園、そこから西へ歩いた佐保・佐紀路、唐招提寺・薬師寺のある西の京、日本発祥の地である飛鳥・桜井・橿原、剣豪の里野牛、じゃなかった柳生等、奈良県内各所の見所が出ている。それにしてもここ最近疲れている。やれやれ。そうこうしている内に、代用交換レンズメーカーTamronから待望の広角ズーム17-35/2.8-4の発売日決定の発表があった。10/21予定。従来の20-40/2.7-3.5に比べ、更に広角寄りになっているのみならず、デジタル時代を見据えて設計されている(筈だ)。Sigmaの類似製品とは正面衝突だ。
| |
| 科学者・技術者の典型とエニアグラム(その12)/スパム | 2003年9月26日(金) |
| ひまじんネット | |
今日は曇後晴。左は大津市(滋賀県)観光周遊のパンフレット。11日・12日には曳山の豪華な大津祭がある。京都祇園祭の山鉾に似ているが、中京方面の影響があったのか、からくり人形が乗っている。さてタイプ4は自分自身である事に並々ならぬこだわりを有しているから、仮説(2A)をエニアグラム以外の性格類型論で傍証するには、似たようなタイプが科学者・技術者の典型とは対立する、そうでなくとも大いに異なるタイプとして描かれている箇所を見つける事が中心的課題となる。即ち9/19に行った仮説(1B)の擁護と同じである。例によってMBTIの大御所Keirseyの"Please Understand Me II"を引用する。◆理想主義者タイプが自身を持つには自分自身の真実性、人としての純粋さ、即ち外界に示す自己イメージに対し仮面や演技のない事、を満たす必要がある。Gandhiの様な絶対的真理への欲求によって動かされているから、理想主義者タイプは自分自身の真実性に対しどんんどん高い基準を設ける。逆に自分自身の真実性を損ねた場合、理想主義者タイプは恐れや自分自身への疑念を抱く。心理セラピストR.D.Laingは著書"The Divided Self(引き裂かれた自己)"に於いて「その他全ての人々の様になってしまう事、自分以外の誰かになる事、役割を演ずる事」に関連する理想主義者タイプの不安を描いている。 下手な訳だし、GandhiやLaingがタイプ4か否かは分からない。しかし自分自身の真実性へのこだわりはKeirseyが理想主義者と称するタイプの傾向として明瞭に現れている。もう少し続けよう。 ◆「真」の自己に属している、と言う感情が萎縮すればする程、この自己は傷つ易くなり、他人が自分自身の深い人格を覗くのではないかと震え上がる。 おっと、これはLaingの文章だった。Keirseyがこの様に描くタイプはNFタイプ、即ち知覚機能として感覚よりも直観、判断機能として思考よりも感情を選んだタイプだ。9/20に挙げた別の見方をするとNFタイプは抽象的且つ協力的だ。NFタイプの自分へのこだわり以外の面はどんなだろうか。続きは明日。 スパムは相変わらず来るが、下記の様な余り商売臭くない宣伝は初めてだ。勿論、全く返事はしていない。IPアドレス210.143.154.36は発信者の回線、210.157.1.52はメールサーバーと思われる。 X-From_: skmn22@yahoo.co.jp Fri Sep 26 23:14:47 2003 Return-Path: <skmn22@yahoo.co.jp> Received: from smtp02.mem.interq.net (smtp02.mem.interq.net [210.157.1.52]) with ESMTP id h8QEEkf69029; Fri, 26 Sep 2003 23:14:46 +0900 (JST) Received: from fb154036.os.FreeBit.NE.JP (fb154036.os.FreeBit.NE.JP [210.143.154.36]) by smtp02.mem.interq.net (8.12.10/8.12.6) with SMTP id h8QEEiKM010082; Fri, 26 Sep 2003 23:14:45 +0900 (JST) X-Mailer: Easy DM free Message-ID: <20030926.1355400320@skmn22-yahoo.co.jp> Date: Fri, 26 Sep 2003 22:55:40 +0900 From: まみ <skmn22@yahoo.co.jp> Subject: お返事アリガトです(^.^) MIME-Version: 1.0 Content-Type: text/plain; charset=ISO-2022-JP -------- お返事アリガトです。まみです(^.^) http://[宣伝に加担したくないので伏せる] この度新しいタイプの出会いサークルを立ち上げました。 女の子に出会えて、尚かつプレゼントまでもらえちゃう 画期的なサイトです。 まだ立ち上げたばかりで、男性会員もほとんどいない 状態ですので女の子と知合うには、絶好のチャンスですよ。 女性だけで運営してますので、女の子の登録も多いです。 是非とも一度お立ちよりくださいね(^0^) | |
| 疲れた | 2003年9月25日(木) |
| ひまじんネット | |
今日は雨。左は葛城高原のパンフレット。葛城高原は奈良県西部の御所市にあり、春にはツツジ、秋にはススキやリンドウがそのシーズンとなる事で有名。今日も疲れたから、仮説(2A)のMBTIによる裏付けは雨天順延。
| |
| 疲れた | 2003年9月24日(水) |
| ひまじんネット | |
|
今日は雨時々曇。疲れた。以下はスパムではないが、何と3/8に行ったCGIBOY(日記を登録している)への宛先変更に対する返事で、今日やっと届いた。 Return-Path: <nobody@cgiboy.com> Received: (qmail 26009 invoked by uid 0); 24 Sep 2003 16:24:21 +0900 Received: from unknown (HELO cgiboy.com) (61.193.169.118) by 172.20.1.17 with SMTP; 24 Sep 2003 16:24:21 +0900 Received: (from nobody@localhost) by cgiboy.com (8.11.6/8.11.6) id h282Tdl27166; Sat, 8 Mar 2003 11:29:39 +0900 Date: Sat, 8 Mar 2003 11:29:39 +0900 Message-Id: <200303080229.h282Tdl27166@cgiboy.com> From: diarymaster@cgiboy.com Subject: CGIBOY$BK?M3NG'%a!<%k(B Content-Type: text/plain; | |
| 科学者・技術者の典型とエニアグラム(その11)/スパム | 2003年9月23日(火) |
| ひまじんネット | |
今日は曇で出勤日。左は「スルッと関西遊びマップ」だ。数日前やっと小次郎を倒した剣豪・武蔵の足跡のの残る関西の名所が出ている。さてここ数日仮説(2A)を扱っているが、9/21の内省、9/22の芸術の作風の違いの話題から、タイプ4の要素は科学や技術に向かう傾向とは大いに異なる事が明らかになった。そうすると9/13に仮説(2A)とは逆の仮説(1A)を擁護する意図で出したA.Storrの文章(RisoとHudsonの"Personality Types"、邦訳=性格のタイプから間接的に引用)も、実は仮説(2A)を強化する物であるべきだと思えて来る。と言うのはそもそも科学や技術はその客観性故、一旦確立すればそれ自身の真実味によって存続するという意味で非個性的であり、従って、自分自身を隠し、且つ、表現したいなる欲求の内特に後者を満たす物ではないからだ。上述のRisoとHudsonの"Personality Types"に於けるタイプ4の記述は、凡そ科学者・技術者を連想させる物ではない。何箇所か引用してみよう。◆・・・創造性と自分主義で、内向性と自己陶酔で、自分を苦しめ憎悪する事で、感情と言う主観的世界を強調する性格タイプである。 ◆・・・全ての性格タイプの中で最も自己を意識する人であり、これが自分について最も肯定的で否定的でもある事の基礎である。 ◆・・・絶え間ない内面での対話を続け、感情面の反応に照合する事で、自分の主体意識の感覚を保つ。 典型的な科学者・技術者も、より社会の動きに密着した人生行路を歩む者に比べればよそ者意識を有しているであろうが、それでもここに描かれたタイプ4程主観的世界には耽溺しない。更に引用する。 ◆・・・葛藤は、自分自身を見つけられる様に自分自身に気付く必要と、同時に、自己意識の罠に嵌らない様に自己認識を超えて動く事の必要との間に生まれる。自己意識と自己超越との間にある緊張は、創造行為の中で解消する事が出来る。 特に最後の説明に現れた様な形の創造は、自己意識が云々される世界の外で起こる科学や技術の発明発見とは全く異なっている。次は仮説(1B)と同様、Keirseyの手によるMBTIの人物像をヒントとしてみる。 なお余談だが、今日またスパムが来た。9/17とほぼ同じしつこいアダルトの宣伝。203.172.66.86はC.S.Communications Co., Ltd., Shinawatra Group, Bangkok, THAILANDの回線。而るにattbi.comはATT所有のドメイン名だ。 X-From_: JRBurnleypcfm@attbi.com Tue Sep 23 06:24:12 2003 Return-Path: <JRBurnleypcfm@attbi.com> Received: from attbi.com ([203.172.66.86]) with SMTP id h8MLO7f91864; Tue, 23 Sep 2003 06:24:10 +0900 (JST) Message-ID: <5f6a01c38145$949efdc0$16fd6cb6@jeqlnoo> Reply-To: <JRBurnleypcfm@attbi.com> From: <JRBurnleypcfm@attbi.com> To: Customers Subject: 老舗 激安☆最新裏DVD通販 Date: Mon, 22 Sep 2003 19:10:34 -0100 MIME-Version: 1.0 X-Priority: 3 X-MSMail-Priority: Normal X-Mailer: Microsoft Outlook Express 5.00.2314.1300 X-MimeOLE: Produced By Microsoft MimeOLE V5.00.2314.1300 Content-Type: text/plain; charset="iso-2022-jp" Content-Transfer-Encoding: 8bit | |
| 科学者・技術者の典型とエニアグラム(その10)/スパム | 2003年9月22日(月) |
| ひまじんネット | |
今日は晴。左の"大和の古道紀行"は桜井市とその周辺のハイキング案内。昨日の仮説(2A)の続きだが、タイプ4はしばしば内省的とされる。そして内省とは単なる沈思黙考ではなく、自分自身の心の動きを観照する事である。この2つの違いをRisoとHudsonの"Understanding the Enneagram"で見てみよう。タイプ4と5の相違を指摘している部分だ。◆彼等[=タイプ4]の芸術は自伝的で、家族や過去の・或いは片思いの関係、主観的な経験等に基づいている。これに対しタイプ5は激しい感情を持っているかもしれないが、それを誰にも明かそうとはしない。タイプ5の思考や想像は感情を原動力として高まり、抽象的幻夢的な想像表現の形態を生ずるに至る。従ってタイプ5の作品は自伝と言うより寧ろ、彼等自身の現実の見方そのものである。 上からタイプ4が自身の感情を省みている事、つまり内省の状態にある事は明らか。感情は確かに存在しているが、タイプ4はこれに溺れる事なく思い出を整理している様だ。従ってタイプ4の創造には個人的側面が付き纏う。而るにタイプ5は、内面的か外面的かは定かではないが、ともかく自身の感情ではなく考えに意識を向けている。RisoとHudsonは続ける。 ◆タイプ5は芸術作品作りに於いて、もっと実験的で風変わりである。 ◆タイプ5は物事の理解の為にその表面を突っ切ろうとする・・・。 タイプ4の精神は狭義の芸術から離れるとしても、"幾何学の精神"に対する"繊細な精神"の側に留まりそうだ。ともかく個人的願望から離れた客観的世界には長居出来そうにない。而るにタイプ5の精神は芸術に限らず科学や技術、哲学や思想(と言っても宗教的ではない価値中立的な)、その他思索的な構成物を産むのに向いていそうだ。だからタイプ4の要素を持った5w4が個人的感情から最も離れた科学や技術の分野に進めば、5の部分では満足しつつ、4の部分で情緒的な飢餓感を持つかもしれない。 ところで下記はスパム。今回の題名はHibari eMailだが、ひばりメールと言う題名ならば以前、受け取った事がある。なお218.150.178.12はKOREA TELECOMの回線だ。中身は違法コピーソフトの安売りや在宅仕事の紹介等。後ろの方に 以下のサイトは入会金、会費だけとってまったく女性を紹介しない典型的な詐欺サイトです。また、無断で女性の写真をホームページに公開しています。 とあるが、目糞鼻糞とはまさにこの事だ。 X-From_: tsuyoon@itpmail.itp.ne.jp Mon Sep 22 15:54:40 2003 Return-Path: <tsuyoon@itpmail.itp.ne.jp> Received: from 218.150.178.12 ([218.150.178.12]) with SMTP id h8M6sUf05328; Mon, 22 Sep 2003 15:54:32 +0900 (JST) From: "saori" <tsuyoon@itpmail.itp.ne.jp> Subject: *** Hibari eMail *** qtg X-Priority: 3 Reply-To: tsuyoon@itpmail.itp.ne.jp Message-Id: <w.QTKOq35@ug> Date: Mon, 22 Sep 2003 03:01:06 +0400 X-MimeOLE: Produced By Microsoft MimeOLE V6.00.2800.1106 X-MSMail-Priority: Medium Mime-Version: 1.0 Content-Type: multipart/alternative; boundary="----=_NextPart_007_0015_IGUQPZZV.CJDIMAKZ" -------- ------=_NextPart_007_0015_IGUQPZZV.CJDIMAKZ Content-Type: text/plain; charset="iso-2022-jp" Content-Transfer-Encoding: 8 bit | |
| 科学者・技術者の典型とエニアグラム(その9) | 2003年9月21日(日) |
| ひまじんネット | |
今日は雨。左は、狸で有名なしがらき陶器市のパンフレット。今日から仮説(2A)を擁護するが、その為に先ず心得るべき事はintrospectionつまり内省と、単なる沈思黙考との区別である。即ち、宇宙の構造から生面の起源、核反応の過程迄、とにかく考える、特に自分自身の心の動きから外にある対象をじっと座り考える事は、狭義の内省には属さない。内省をインフォシーク(http://www.infoseek.co.jp)で調べるとその定義は◆自分自身の心のはたらきや状態をかえりみること。 ◆(2)〔心〕「内観(ないかん)(3)」に同じ。 であり、内省に近い意味を有する内観は ◆〔仏〕精神を集中して自分の心を観ずることによって、自己の内部にある真理や自己の真実の姿を知ろうとする瞑想による修行法。観心(かんじん)。 ◆自己の内面を見つめ、そこにあるものを探求すること。内省。 ◆〔心〕〔introspection〕自分自身の心の動き・状態を自分で観察すること。自己観察。内省。 となっている。だから繰り返しになるが、内省は少なくとも沈思黙考の1つの形態であり、後者から前者へは遡れぬ事は明白。但し単なる沈思黙考との比較を越えようと思えば、辞書的定義は常に表現に於いて簡単素朴、現実との対応付けに於いて難解で、「内省」「内観」も例外ではない。そこで懐メロを例として引用しよう。 君に合う 嬉しさの 胸に深く 水色のハンカチを 潜める 慣わしが 何時の間にか 身に沁みたのよ 涙の跡をそっと 隠したいのよ 月影の細道を 歩きながら 水色の ハンカチに 包んだ 囁きが 何時の間にか 夜霧に濡れて 心の窓を閉じて 忍び泣くのよ 藤浦洸作詞・高木東六作曲「水色のハンカチ」、二葉あき子の持ち歌だ。詞も曲も現在の歌謡曲には全く期待出来ぬ程、美しい。しかし難を挙げれば、慣わしが身に沁みるとか、囁きが濡れるとか、ともかく非論理的であり、且つ何に対して"涙の跡"を隠したい程"忍び泣く"のか、明瞭に表現されていない点がある。実の所は単に筆者の感性が鈍いだけなのだろうけど。 行きて帰らぬ 若き日を 窓に凭れて 思い見る 夢多かりし あの頃の 雲のかからぬ 清らかさ ああ 過ぎにし 過ぎにし春の 思い出よ 唯やすらけく ありし日の 胸の思い出 泡と消え たけての今日の この胸に 地上の愛の 悩ましさ ああ 涙に 涙に暮るる この心 これは島田芳文作詞・古賀政男作曲「窓に凭れて」。手元の奈良光枝のCDにあるが、関種子の持ち歌だったようだ。筆者が高校時代、NHKラジオの深夜放送で初めて聴いて以降、「窓に凭れて」は最も好きな曲の1つになっている。詞の中身を見ると上の「水色のハンカチ」と同様、恋愛がきっかけとなって涙を流している。しかし「水色のワルツ」の心は感情の高まりに囚われる余り、第三者にはいささか理解の範疇を超えている様に見える。これに対し「窓に凭れて」の心は過去を思い出している為か、必ずしも「水色のハンカチ」の如き感情の高まりの渦中にはなく、寧ろ自らの動作や思い出の中身を冷静に語っている様だ。そうすると「内省」や「内観」とは、「窓に凭れて」の詞の精神、とでも言えようか。 結論だが、内省は自分自身の心の動き・状態を自分で観察する事。感情に囚われた状態ではないし、単なる沈思黙考でもない。 | |
| 科学者・技術者の典型とエニアグラム(その8) | 2003年9月20日(土) |
| ひまじんネット | |
|
今日は曇後雨。といってもこれは旅行先であった古い街並みの残る郡上八幡・合掌造りの民家の集結地である白川郷方面の天候。昨日仮説(1B)の根拠としたKeirsey流のMBTIの解釈だが、少し注釈が要る。と言うのはそもそも、より科学技術寄りのNTタイプはKeirseyの流儀を字句通り受け取るとNTPタイプになるからだ。Keirseyの分類基準は ◆具体的・抽象的 ◆功利的・協同的 ◆指示的・報告的 ◆表現的・抑制的 の4つで、最初が普通のMBTIのSとN、最後がEとIに相当する。中2つはTF・JPと関連しているが一筋縄ではなく、功利的なタイプはSPとNT、協同的なタイプはSJとNFである。そして、指示的なタイプはSTP・STJ・NTJ・NFJ、報告的なタイプはSFP・SFJ・NTP・NFPだ。ああ、ややこしい。しかしKeirseyによるとNTJタイプは指導者肌のNTタイプであり、INTJは主として計画を立てる事で背後から人を動かす。よって意外だが、Iであっても指導者的。NTPタイプは技術的なNTタイプであり、ENTPは設計よりも試作品作りを行う。ENTPの記述はベンチャー精神を示唆しているのだろうが、人を動かす意図があってそうしているのではないから、指導者的ではない。 そこでこれを確かめる為Keirseyのホームページ http://www.keirsey.com/ やその息子のホームページ http://users.viawest.net/~keirsey/ を見ると、科学技術に携わるINTPは沢山だからその引用は諦めて、同様のENTPはR. Feynman、N.Tesla、T.Edison等。一方、指導者タイプであるはずのINTJには、S.Hawking、L.Meitner、I.Newton、N.Bohrの様な物理学者や、それから科学技術からは外れるがF.Nietscheの様な哲学者さえもが含まれている。これは大変不可解だ。即ちINTJは背後で人を動かす計画タイプであるから、学問や技術の世界に関心を持った場合でも、自ら専門家になるよりは、マーケティングと価値判断を行う企画者や、特許のコンサルタント等になる場合が多い、と考えるのが自然だからだ。だが上記の中で指導者的なのはN.Bohrだけで、それ以外はE/INTP並に自ら思索するタイプだ。だから筆者はMBTIの数値データも含め、帰納的にINTPとENTP、ではなくINTPとINTJを科学者・技術者の典型と見做している。 「科学者・技術者の典型とエニアグラム」の根底にある精神は演繹、即ちより要素的な描写とそこから自然に思い浮かべられる結果に基づき、要素の組み合わせに関する描写を批判する傾向である。しかし稀に帰納的思考も現れている。今日紹介したMBTIに於ける科学者・技術者の典型の他、9/18の知識人・文化人に関する筆者の見解も辞書的定義より、日頃見聞きする個人の印象に重心を置いている点で帰納的だ。 余談を長々としてしまった。次から、科学者・技術者の典型はw4でないと言う意味で5w6であるとする仮説(2A)に移ろう。 | |
| 科学者・技術者の典型とエニアグラム(その7) | 2003年9月19日(金) |
| ひまじんネット | |
今日は晴後夜から雨。左は2002年5月の唐招提寺うちわ撒き(奈良県奈良市)の前座として行われた舞楽の写真。9/14の日記ではMBTIでのI(内向)、N(直観)とT(思考)を持ったタイプを特に断らずタイプ5的な科学者・技術者の典型としていたが、"Please Understand Me II"の著者であるDavid KeirseyはE/IによらずNTタイプ全般に於ける知的能力へのこだわりを指摘しているから、エニアグラムのタイプ5はINTタイプのみならずENTタイプとも深い動機の部分で整合する。そしてその中で科学者・技術者らしいのはやはりINTJとINTP、特に後者である。KeirseyはENTPを発明家タイプと形容しているが、筆者の印象では寧ろ新規事業立ち上げ派に近い。だから冒頭で述べたINTタイプを5的な科学者・技術者の典型とする見方を続けよう。さてKeirseyはその独特な流儀で人々を◆具体的・抽象的 で先ず2分し、更にそれぞれを ◆功利的・協同的 と言う別の基準で分類する。NTタイプは抽象的且つ功利的な枠に属する。この"功利的"とは、要するに道具の使い方、となっているが人生全般に於いて余り社会的承認や他者との関係に配慮せず、最も効果的な道を選ぶ傾向である。だからNTタイプは権威や威光、信任には動かされない。しかしこれは不道徳であろうと意図した結果ではなく、単に効率的か否かに意識が向いている事の反映である。而るにSJタイプ(ST・SFでない事に注意)はこの逆、即ち具体的・協同的とされる。Keirseyの描くSJタイプは伝統や習慣、正邪の基準を保持する社会の門番であり、未来に対しては悲観的なMurphyの法則の徒であり、徳義やマナーの衰退を嘆く憂鬱派であり、階層的な権威の信奉者であり、何かへの帰属を求める安全主義者である。Keirseyから一部、引用する。 ◆ガーディアン(SJ)タイプは他のどのタイプよりも、危険が傍に潜んでいて、何時顕在化するか分からない事に気付いている。財産は盗まれ、健康は蝕まれ、関係はばらばらになるかも知れない。世界は地獄に真ッ逆様。おそらくだから、ガーディアンタイプは組織を信用する。 こうした傾向をエニアグラムに探せばタイプ6が最も有力。従って、NTタイプはSJタイプの逆であるからタイプ6とも遠い。そしてNTタイプは内向的である場合、科学者・技術者の典型であったから、その様な傾向を有するタイプ5もタイプ6から遠い事になる。 そうした意識の元でもう一度、9/15・9/16に記したタイプ6の特徴に戻ろう。そうするとタイプ6の要素は不安や怖れに敏感である分だけ、科学や技術の様な分野よりももっと、実生活の課題に密着した分野、例えば法学や経済学に向かうエネルギーとなるのではないか。仮に科学や技術が主たる関心事であっても、タイプ6の適性が光る1つの在り方は助手や技能のプロとしての立場である。またRisoとHudsonに現れた ◆・・・健全なタイプ6は頼りになり、信頼出来る事が取り柄である。 ◆合議体の様な雰囲気を作り出す事が出来る。 と言う記述からは、押されて地位を得る調整型リーダーが想像出来る。だが、 ◆着実さと信頼性に加えて、自分で御し難くならない内に隠れた脅威や問題を察知する能力も持っている。 とあるからタイプ6は必ずしも善良・誠実一本鑓ではなく、寧ろタイプ3的な生の知恵者。而るに科学や技術を専門として究める者の問題点はそうした知恵が身に付かぬ事。そう考えると仮説(1B)は自然に受け容れられる。 | |
| 科学者・技術者の典型とエニアグラム(その6) | 2003年9月18日(木) |
| ひまじんネット | |
今日は晴。左は2002年5月の唐招提寺うちわ撒き(奈良県奈良市)の前座として行われた舞楽の写真。これから擁護する仮説(1B)は、w6の要素が少ないが故に5w4を科学者・技術者の典型と見做す、仮説(2B)とは正反対の考え方である。その出発点は、タイプ6がその根を置いている規範を(Freud流に言えば)執行原理に限られる、と解釈する所にある。即ち数学の定理や物理学・化学の自然法則も、人為の所産である様々な制度や価値体系も共に規範だ。しかし前者は、善悪を超えてそれ自身の力により宇宙を満たしている。而るに後者は利害とも美醜とも異なるが、人間の意思や行為を規定する目的で、人間によって推し進められている。そうすると科学者や技術者は、真っ先に規範に違反する様な人柄ではなかろう。だが日常の考え方に於いては、半導体の製造に欠かせない○○ガスは有毒だから××のやり方に則って慎重に扱うべし、と言った本来執行原理である規範も、円周率が2でも4でもない事実と同じ客観的な所与として受け取っているのではあるまいか。規範は、守られれば一緒に安心し、破られれば一緒に怒りや悲しみを抱く様に主観的感情で捉えられる事によって、規範らしい規範になる。この意味に於いて科学者や技術者は如何に従順であっても、規範に欠ける人種だ。スポーツ全般を愛好する者と特定のチーム・個人のファンとの違い、と考えれば分かり易いだろうか。Risoは"Understanding the Enneagram"(邦訳:性格タイプの分析)でタイプ4と6を比較しながら、後者の傾向を以下の様に述べている。◆創造性豊かなタイプ6ですら伝統主義者になりがちで、しっかりと定められた規則や形式の範囲内で創造する。或いは逆に極端に走って、反抗的になり、伝統に反発する。・・・どちらの場合も、伝統とそれに対する反動が揃って彼らの芸術の重要な側面となっている。 「芸術」を「知性」に置き換える事が許されるならば、この様な性格描写から知識人・文化人、つまり世相の評論家が連想出来る。例えばJungのタイプ論を翻訳した林道義もその典型で、若い頃の伝統に対する反発と今の反発に対するそのまた反発が経歴や、ホームページに於ける発言の重要な側面となっている。但し林道義がタイプ6である可能性、否定はしないが真っ先に挙げるべき候補とは思えない。Risoは続ける。 ◆タイプ6の芸術に良く見られる主題は、帰属、安全、家族、政治、国、共有価値などに関係した物である。 ここでまた「芸術」を日常の営為一般に拡大解釈する事が許されるならば、まさしくタイプ6にとっての規範は執行原理であり、現実原理でない事がこれで明白だ。対するタイプ4はどうか。 ◆それに対して、創造的なタイプ4は、自分の感情等の主観的な私的状態を探求して我が道を行く個人主義者である。タイプ4の芸術作品は、伝統への追随や反発に関わる事はずっと少ない。・・・彼等は時代の先を行くかもしれない。それは、彼らが、反抗的であろうとか前衛的であろうとか試みるからではなく、自分個人の見方を表現する独自の形式を作り出すからである。 これを少し変えてみよう。 ◆典型的な科学者・技術者は、与えられた課題や自分の興味を探求して我が道を行く個人主義者である。科学者・技術者は、正面からの反対を受けぬ限り、伝統への追随や反発には関わらない。・・・彼等は時代の先を行くかもしれない。それは、彼らが、反抗的であろうとか前衛的であろうとか試みるからではなく、自分個人の見方で可能な限り、客観的合理的と思える形式を作り出すからである。 自然な文章だ。MBTIの考え方をプラスすると、仮説(1B)は更に強化される。 | |
| スパム | 2003年9月17日(水) |
| ひまじんネット | |
|
今日は晴。暫くエニアグラム(enneagram)の話題を続けていたが、ここで一休みしてスパムをまとめて出そう。上から順にSOHOビジネス・アダルト・意味不明系スパムだ。 X-From_: info@surplus.jp Fri Sep 12 10:33:20 2003 Return-Path: <info@surplus.jp> Received: from localhost.localdomain (fu-158-250.edit.ne.jp [218.219.158.250]); Fri, 12 Sep 2003 10:33:19 +0900 (JST) Received: from a (p1106-ipad32fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp [211.129.176.106]) by localhost.localdomain (8.12.8/8.12.8) with SMTP id h8C1nxgq005197; Fri, 12 Sep 2003 10:50:17 +0900 Date: Fri, 12 Sep 2003 10:50:17 +0900 Message-ID: <018601c378cf$36a5ba20$0b01a8c0@a> From: サープラスビジネス <info@surplus.jp> Subject: 未承諾広告※関心のない方は削除して下さい。 MIME-Version: 1.0 X-Mailer: Microsoft Outlook Express 5.00.2615.200 X-MimeOLE: Produced By Microsoft MimeOLE V5.00.2615.200 X-MIME-Autoconverted: from quoted-printable to 8bit id h8C1XJf45052 Content-Type: text/plain; charset="iso-2022-jp" Content-Transfer-Encoding: 8bit X-From_: JRBurnleybxgs@attbi.com Sat Sep 13 23:58:28 2003 Return-Path: <JRBurnleybxgs@attbi.com> Received: from attbi.com (212.68.194.20.brutele.be [212.68.194.20]); Sat, 13 Sep 2003 23:58:22 +0900 (JST) Message-ID: <de3d01c3796d$bb995450$a644fd2d@ajofhpgswgi> Reply-To: <JRBurnleybxgs@attbi.com> From: <JRBurnleybxgs@attbi.com> To: Customers Subject: ☆最高品質裏ビデオを1本1000円しかも後払い!☆ Date: Fri, 12 Sep 2003 11:37:50 -0900 MIME-Version: 1.0 X-Priority: 3 X-MSMail-Priority: Normal X-Mailer: Microsoft Outlook Express 5.50.4522.1200 X-MimeOLE: Produced By Microsoft MimeOLE V5.50.4522.1200 Content-Type: text/plain; charset="iso-2022-jp" Content-Transfer-Encoding: 8bit X-From_: connie.davis@mail.internetseer.com Tue Sep 16 17:39:00 2003 Return-Path: <connie.davis@mail.internetseer.com> Received: from internetseer.com (mail9.internetseer.com [66.150.40.23]); Tue, 16 Sep 2003 17:38:59 +0900 (JST) Received: (qmail 16547 invoked from network); 16 Sep 2003 08:32:39 -0000 Received: from unknown (HELO pm68) (66.150.40.68) by 0 with SMTP; 16 Sep 2003 08:32:39 -0000 Message-ID: <11243587.1063701127016.JavaMail.Administrator@pm68> Date: Tue, 16 Sep 2003 04:32:07 -0400 (EDT) From: Connie Davis <connie.davis@mail.internetseer.com> Reply-To: Connie Davis <cs-connie.davis.H_CR7D63rgtIUQL5v5e5hS5aIMx.e3@mail.internetseer.com> Mime-Version: 1.0 Content-Type: multipart/alternative; boundary="----=_Part_19472_11117932.1063701127006" | |
| 科学者・技術者の典型とエニアグラム(その5) | 2003年9月16日(火) |
| ひまじんネット | |
今日は晴。左は2002年5月の唐招提寺うちわ撒き(奈良県奈良市)の前座として行われた舞楽の写真。昨日の続きだが、科学者・技術者「である」為には科学者・技術者「になる」事が必須である事に注目しよう。そうするとタイプ6の有利さが際立つ。即ち科学者・技術者の育成は、少なくとも文科系の事務管理的な職種を志望する者の育成に比べれば、遥かに時間と手間を要する作業である。これは育成される側の立場から見ると、教える者、又は制度の言うが侭の状態---気楽だが自由のない状態---に長く置かれる事になる。かかる状況でもし、こんな人物がいたらどうだろうか。◆そこで、自分の人生に枠組みを設けて自分に安定と継続性を与える様懸命に努める。ゲームの規則が分かっていて、人生で誰かに支えられているという感覚が持てていれば、一貫性を持って堅実に生きて行けるし、多くの事を成し遂げられる。 RisoとHudsonの"Personality Types"のタイプ6の記述の一部だ。科学技術に限らず専門家になる事が目標である場合、現実の教育制度には、あり・をり・はべり・いまそかり・なり・けり・めり・り・・・と言った古語の動詞助動詞の活用や、太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・少納言は律令にあるが内大臣・中納言はそうでなない細々した事実や、アメリカ農業は会社組織による経営か否かに関わらず企業的大規模農業とされる非日常的な用語法を覚えねばならない教養至上主義的な、もはや罰ゲームとしか思えない無駄が多い。しかし一定以上、抜きん出なければ専門家の卵としての可能性を周囲に認めさせる事が出来ない。而るにその方法は既知、丸暗記だ。だから上記のタイプ6の様に枠組みがあって初めて安心する者は対抗恐怖症的にならぬ限り余り心理的抵抗を感じない点で寧ろ有利。なお順応と言う意味では、タイプ3・9も同様に有利かもしれない。こうした推定を裏付ける話が、RisoとHudosnの"Understanding Personality Types"(新版・日本語訳はまだ)にあった。 ◆・・・通常の認識とは逆に、大学や高等教育の世界はタイプ5よりも6の世界である。大学では学生に対し、助言者指導者と協業せよ、原典を示し権威者の話を引用する事で議論を根拠付けよ、論文作成に於いては適切な手順に従え、等と教える。これはすべてタイプ6的な価値観である。 この様な世界では学生に対する教員の影響力が強い。これが理科系の就職に於ける強みの理由だ。だがその分教員や先輩、後輩との関係は場合によっては一生続くから、公的な場面でありながら、私人として気に入られるか否か、と言う点が運命の分かれ道になる虞もある。そうするとRisoがしばしば「他者を惹き付ける」としているタイプ6はやはり有利。 ◆健全なタイプ6は、人に慕われ、人好きのする性質を持っていて、それが知らず知らずに他者の心に訴える。 タイプ5は決して狡猾でも暴虐でもない実直派だが、社会的慣習への感受性を欠いている為、気働きには向かず、従って特に公私の境界領域で好かれるには不利だ。そして現実の科学技術が全くの個人ではなく企業や国の組織で推進される限り、ここで述べた様なタイプ6の優位性は揺るがない。仮説(2B)の擁護を超えて、科学者・技術者の典型はタイプ6だと思える程になってしまった。今度はこれに真っ向から反対してみる。 | |
| 科学者・技術者の典型とエニアグラム(その4) | 2003年9月15日(月) |
| ひまじんネット | |
今日は晴で祭り見物日和で、特に岸和田市等関西圏では"だんじり"の祭りがあったが、出勤日。やれやれ。左は2002年5月の唐招提寺うちわ撒き(奈良県奈良市)の前座として行われた舞楽の写真。踊りが始まった。さていよいよエニアグラムに於ける通説、即ち科学者・技術者の典型は5w6であるとする考え方に移る。ここでは、特にw6の中にかかる傾向を加速する要素があると見做す仮説(2B)を擁護してみよう。RisoとHudsonによれば、タイプ5は頭センターのタイプとして◆通常のタイプ5は、環境は予測不可能であり、潜在的に脅威となる物として怖れるので、不安全と言う事に問題を抱える傾向がある。更に、自分は無力であり、世の中に沢山ある危険に大しては自分を守れないと感じている。 という感じに常に曝されている。だからタイプ5は己に有能感を感じたいと思うが、"有能"の定義は知的能力である場合が多い。Risoはタイプ5を9と対照しながら、 ◆タイプ5は世界に圧倒される事を怖れており、彼らの知的活動は、世界に対する無意識の防衛であり、世界を知的に支配しようとする試みである。 と述べている。従って世界に対する怖れがそもそもタイプ5の知的好奇心のエネルギーならば、前者の増加に従って後者も増加する事は明らかだ。またこの場合、世界を怖れるとは世界で意識が一杯になっている状態の1つだから、知的好奇心が世界、即ち内省により捉えられる己の感情とは対照的な外界により傾く事も、容易く想像出来る。 タイプ6はどうだろうか。タイプ6は頭センターに於ける根源的タイプとして最も怖れに関する問題を抱えている。 ◆彼らは不安を最も意識している---「不安である事が不安である」---タイプである。・・・タイプ6は自分が不安であるという事を自覚している。 またRisoとHudsonから引用した。怖れの代わりに不安と言う言葉が用いられているが、不安の解消の為に外界の権威を信用し、且つ、信じた筈の権威をも疑うと言うタイプ6特有の心の動きがここから始まる。注目すべき点は権威の中身で、Risoは ◆・・・守られていて安全であると感じたい。IBMがそれであるし、共産党、共和党、教会でもいい。 と言うが、権威としての強靭さに於いては、企業や信条に基づく団体よりも、自然法則が遥かに勝っているのではあるまいか。従って、潜在的な脅威である世界を自然法則に頼って分析したり、物足りなければ自然法則を創造したり、反発を感ずれば既存の自然法則を打破したりする分野は、タイプ6にとり満足出来る居場所になり得る。RisoとHudosnは健全なタイプ6の有能さをこう、描いている。 ◆・・・多くのタイプ6が分析技術や故障点検技術に長けている。用心深いので、設備の細部迄眼が行き届き、指示を受ける事にも出す事にも能力を発揮する。一般に、タイプ6は指針が明確に定義され、徹底されている仕組みの中で働くのが好きである。 科学や技術は一方では詳細な観察、他方では厳密な推論から成り立っているが、上述の証言を信ずるならばこの両方がタイプ6の得意技である。もはやタイプ6の要素単独で科学技術の中で生きて行ける者を作れそうだ。 今までの話をまとめよう。タイプ5が知的分野全般に興味を抱くのに対し、タイプ6は揺ぎない権威を欲する。賛成の場合は勿論だが、仮に反権威主義的であっても、反対する際の基準点が必要であると言う意味で。従って、法則定立型の知性の典型である科学や、その応用である技術に、5w6は5の面でも6の面でも惹かれる。次も仮説(2B)を別の面から補強する。 | |
| 科学者・技術者の典型とエニアグラム(その3) | 2003年9月14日(日) |
| ひまじんネット | |
|
今日は晴。昨日の仮説(1A)の補足だが、エニアグラムの外にも、科学者・技術者は5w4的であると推定出来る根拠がある。職業的興味の類型であるRIASECでのいろんな科学者は---技術者は必ずしもそうではないと言う難点もあるが---大抵I(=Investigative)が主、A(=Artistic)が従になるパターンを呈する場合が多い。更にMBTIでは科学者・技術者の卵である理工学部、それから理科系と言う意味では同じ医学部の学生には、思考もさる事ながらそれ以上に内向性と直観を持つ者が増えている。MBTIの考案者Myersは"人間のタイプと適性"で科学や技術の分野に多いタイプの1つ、INTPについて以下の様に言っている。 ◆直観は、思考だけで出来る事に比べ、更に深い洞察力をもたらす。それは知的好奇心、素早い理解力、問題に対する発想の妙と豊かさ、論理の先回りをして可能性を発見する能力等を与えてくれる。 当然ながら欠点もある。 ◆直観のマイナス面は、長い人生の間にルーチンワークにかなり適応力を見せる直観型の人もいるが、元々はそれが苦手な事である。 ◆簡単な答えが必要な簡単な質問を出されても、内向・思考型の教師は、自分の学者としての良心に賭けて、あらゆる面から間違いのない真理を答えねばならないと思い込む。それで、答えは正確過ぎて、しかも複雑すぎる為、殆ど誰にも分からない物になってしまうのである。 INTPと並ぶ学究の徒INTJにも、似た側面がある。 ◆同じ物を何度も作り変える気にはならず、完成した製品はもはや彼らの興味を惹き付けない。 要するにINTPやINTJの興味は理論やせいぜい、試作品を作る段階までしか続かず、教育や産業応用にとって不可欠な広さには向かわぬ様だ。これは確かに、IとNとTの特徴から考えれば自然な帰結である。誰にも得意・不得意はある。しかし、知力を有難がる現代社会のINTPやINTJは、貴族意識に耽溺してはいないだろうか。即ちこんなに努力して今の地位を築いたのだから、巷の雑事に関わるのは御免蒙りたい、そしてそう願う自分がとっても高貴だ、と。これと符合する心の有様はRisoのタイプ4の記述の中に散見される。 ◆私はクラシックは聞くけれど、カントリーやウェスタンは絶対に聴かない。 ◆自分で料理したり、洗濯したり、社会活動や地域社会の問題に関わりたくない。 ◆「烏合の衆」に対して軽蔑を感ずる事で、自分の主体意識に確信のない事への防衛にする。 ◆・・・自分は特別で、皆の様な生き方をする必要はなく、社会生活の通常の慣習に従う義務はないと感じる。 仮説(1A)に従えばこうしたタイプ4のちょっとマイナスな側面も、専門を極める動機としてプラスに作用する事は容易く想像出来る。逆に教育や産業化に於ける広い知力とは、特定の分野に通暁する力を単に論理的に敷衍する事ではなく、必要にして充分なレベルの知識を柔軟に組み合わせて行使する、最近の流行語で言えばソリューション指向の知力である。ある意味、特に教育はそうだが、知識の製造部門ではなく、知識の流通部門。だから先ず自分が特別だ、と言う感覚を与えない点で、また世俗から離れるのではなく密着する、と言う点で、タイプ4の好みには合わない。而るにこの種の広さは科学者に先ず、欠けている。技術者には、昇進に従って強く要求されるが、技術を好きで技術の世界に飛び込んだ者にとっては寧ろ事務管理屋の仕事としか思えない、やはり自分を場違いだと思わせてくれる世界だ。昨日今日、通説に反する仮説(1A)を擁護する説明を行ったが、筆者自身にとって決して不自然には聞こえない。次は仮説(2B)に移る。 | |
| 科学者・技術者の典型とエニアグラム(その2) | 2003年9月13日(土) |
| ひまじんネット | |
今日は晴。相変わらず暑いが、左の奈良圏のバス会社である奈良交通の観光案内では、もう紅葉が始まっている。さて昨日の仮説(1A)(1B)(2A)(2B)の内、(1A)が妥当か否か考えよう。即ち、科学者・技術者の典型は5w4であり、それはw4の存在故であるとする、主流意見とは逆の仮説である。RisoとHudsonはタイプ5に関し、"無能で役立たずではないか"なる根源的怖れ故に"局外の観察者でいたい"と言う願望を抱いており、その結果洞察力に優れ、独創的だが、超然とした変わり者にもなり得る、としている。従ってタイプ5は他のタイプに比べれば、知的、そうでなくとも思考と観察で成り立つ活動を仕事や趣味の世界に求める事が多く、だから自然科学だけではなく人文社会科学をも含む色々な分野の専門的な研究活動、そうした活動を支援する企画立案、孤独を動力源とする芸術の創作等にしばしば惹かれる。而るにタイプ4は"取るに足らぬ存在ではないか"との根源的怖れを抱くが故にこれを克服しようとして特別な自己像に固執する。従ってこれまでタイプ4は、個性の発揮と比較的結び付き易い芸術家タイプとされていたが、最近では内面の感情に目を向けたがる内省的直観的人間としての側面が強調されている。この様な傾向が元々社会的に活発な性格、例えばタイプ3に補助的に作用すれば、集団的価値観を意識する事なく個性の力で生きられる手段として知的な専門職が望みの人生行路となる事は想像に難くない。まぁ、この説に全く疑問を感じない、と言うと嘘だが、同じメカニズムが5w4に於いては作用しない、とは思えない。 それでは同様のw4のメカニズムが、タイプ5に作用するとどうだろうか。タイプ5は元々アウトサイダー的であるが、そうした面が己に僅かでも有ればどうしても強く意識してしまうのはタイプ4である。従って集団的な価値観と深い縁を持つ事なく生きたいならば、狭く深い分野を地道に追求する様な人生行路は魅力的だが、特にこの"分野"が論理的、即ち文化の局所性に対する文明の汎用性を象徴する世界であれば益々そうである。また、Risoは"性格のタイプ"に於いてタイプ4の説明に際し ◆あらゆる種類の芸術家の中に、固有のジレンマを見つける事が出来ると思う。そのジレンマは何かを伝えたいと言う差し迫った要求と、知られたくないと言う更に差し迫った要求と言う、2つの傾向が共存する事に関わる物である・・・。 と言うA.Storrの文章を引用しているが、科学や技術、その他知的思考もジレンマの創造的解消と言う点では芸術に比肩する。即ち、物理や化学の必然性の背後で「知られたくない」と言う欲求を満たしつつ、まさにその必然性にのみ従い、それによってどんな真実が明らかにされても構わない、と逸早く覚悟を決める事で「伝えたい」と言うもう1つの欲求を満たすに足る新しい真実や方法論に到達する---かもしれない---からだ。即ち5w4に於いて、科学や技術への関心は主タイプである5の部分に起因するが、創造と言う要素が加わる見込みがあれば、補助タイプである4の部分もこれを加速する。斯くして能力は売るが魂は売らない生き方が可能になる。なお、今日の仮説(1A)に対する反論は、後で仮説(2A)に沿った考え方を示す事で自動的に行う。次も仮説(1A)を続ける。 | |
| 科学者・技術者の典型とエニアグラム | 2003年9月12日(金) |
| ひまじんネット | |
今日は雨。まだまだ蒸し暑いのにもう、「もみじまつり」と言っているのが左の紅葉で有名な長谷寺とその周辺でのイヴェントのパンフレット。長谷寺、と言っても湘南地区の長谷寺ではなく、奈良県桜井市の長谷寺だ。さて昨日までずっと"イデオロギー好き"がJungのタイプ論ではどれに近いか考えて来たが、筆者は"イデオロギー好き"の代替語として"知識人"・"文化人"とも言った。これは"知識人"・"文化人"の辞書的定義とは合致しないが、"有識者"・"専門家"・"大家"・"達人"・"名人"・"学識経験者"等の表現を避けて敢て"知識人"・"文化人"と言う場合、世相の評論家、特に堺屋太一や立花隆、司馬遼太郎に見られる冷静な意見ではなく、正邪の量り難い、右や左の一種狂信的な意見を吐くタイプの評論家を指し示す場合が少なくない事にも注目すべきである。この意味では林道義も知識人・文化人に属する。逆に、字句通りの知識の人でありながら、上述の意味での知識人ではあり得ない人物像を挙げるならば、科学者や技術者はその代表である。即ち、知識人・文化人が何か特定の発想の拠所を推し進めようとするか、或いは仮に潰そうとする場合でも常に物事の特定の性質を思索の対象とするのに対し、科学者・技術者は客観性一般性の中に特定の拠所を求める精神を溶解しようとする。これは科学にあってはその主軸が古典論からこれを否定する事なく包括する量子論へ移った事を見れば明らか。技術は個物を作るので一見はっきりしないが、個物の価値基準の中に例えば60Hz地区でも50Hz地区でも使える蛍光灯だとか、アルコールでも魚油でも動くエンジンだとか、社会的文脈からの独立精神が含まれている事に注目しよう。 こうした科学者・技術者的な性格はエニアグラム(enneagram)に於けるどのタイプに相当するか、と言えば、やはり5である。勿論、科学者・技術者全員がタイプ5ではないし、タイプ5が常に科学や技術に関わるとも限らないと言う注釈付きだが。もっと詳しく言えば科学者・技術者の典型は単なるタイプ5と言うより寧ろ、タイプ6が少し混入した5w6とされる場合が多い。これはRisoとHudsonの考え方だが、T.Condon(http://www.thechangeworks.com/)やE.WageleとR.Baronも追従しているし、有名なhttp://www.9types.comでも定説化している様だ。逆に5w4とする意見も数年前迄www.batnet.comにあったホームページで見掛けたが、広まらぬ内にもう消えてしまった。要するに科学者・技術者らしいタイプを (1)5w4である (2)5w6である とする2つの可能性の内、後者が優勢である。この理由としてタイプ5の要素だけでは科学者・技術者になるに際し不充分な箇所があり、w4乃至w6の助力があってやっと、可能になる為だとも考えられるし、そうではなく単にw6、或いはw4ではなさそうだ、と言う意味で5w4・5w6とされているに過ぎないとも考えられる。整理すると、 (1A)w4故に5w4である (1B)w6でないと言う意味で5w4である (2A)w4でないと言う意味で5w6である (2B)w6故に5w6である と言う4つの選択肢がある。これから数日間、どの仮説が科学者・技術者らしい人物像を描く上で最も自然か、考えてみる。 | |
| Jungタイプ論のJung派による解釈(その11) | 2003年9月11日(木) |
| ひまじんネット | |
今日は晴。左は奈良イベントガイドブックの秋号。上半分は昨日紹介した飛鳥京ルネッサンスに関連してか、蘇我入鹿の墓と伝えられる石舞台。下半分は紅葉も鮮やかな談山神社。因みに今日興福寺傍の猿沢池で行われた"采女祭り"も出ている。さて本論に入るが、Jungのタイプ論に出てくる様々な定義や記述の問題点は、それらの相互の関係が必ずしも明瞭でない所にある。従って、定義や記述の何処を重視するかで全く異なる結論を出す事も出来る。ならば早速、イデオロギー好きがどのタイプに近いか、昨日迄よりももっと自由に考えてみよう。そこで定義を引用する。◆・・・思考とは、それ固有の法則に即して、与えられた様々な表象内容を(概念的に)関連付ける心的機能である。 これは長々とした思考の定義の一部だ。思考と対立する感情は以下の通り。 ◆感情内容とは第1に自我と与えられた内容との間に生ずる活動であり、しかもその内容に対して受け容れるか拒むか(「快」か「不快」か)と言う意味で、一定の価値を付与する活動である。・・・従って感情とは、差し当たって如何なる点に於いても外的刺激から独立し得る完全に主観的な活動である。・・・と言うのは(感情による)判断は一定の概念的な意味関連を作ろうとする意図ではなく、何よりも主観的な受け容れるか拒むかと言う意図を以ってなされるからである。 これまた定義の一部。但しJungは、知的な概念能力で感情を表す事を明らかに不可能、とも述べている。しかしこの2つから類推すると明らかにイデオロギー好きは感情型になる。思考型はこの定義では、即ち主機能たる思考を順調に機能させている限り、社会の表面を分析してそこから奥にある問題を摘出する事はあっても、特定の問題や解釈に"惚れ"て、"べき"論に熱中する思えない。而るに感情型の関心事は受け容れるか拒むかの判断にあるが、これはまさしくイデオロギーや宗教、社会的慣習をして知的な分析の出来る水準を越えたイデオロギーや宗教、社会的慣習らしい物に変える作用に他ならない。その眼でもう1度、9/2に記した外向感情型の様子に着目すると、外向感情型はそんなに社交的でも敏感でもなく、寧ろ社会が定める通念を固定化する因習派である事がはっきりと分かる。Jungは ◆この感情なくして例えば気持ちの良い和やかな交際等考えられない。 と言うが、ここでの"気持ちの良い和やかな"と言う要素の中には安心、安定がかなり含まれているのではないか。付き合いの相手として楽しいのは寧ろ、 ◆・・・人に好感を与える活き活きとした享受能力を持っており、陽気な仲間であったり、品の良い趣味人であったりする。 と描かれている外向感覚型だ。そして今度は9/6の内向型に関する記述を見れば、内向型は必ずしも内気ではなく、逆に一家言を持ったうるさい人柄とされている。そこでこの2つ、感情と内向性とを合体させれば、イデオロギーや宗教、社会的慣習に対し独自の好悪を持った人柄が出来上がる。そすると林道義にとって外向思考型の(内向思考型もそうだが)特徴とされているイデオロギー好きは、内向感情型の特徴となる。この傾向は、9/6の内向直観型の預言者的な性質や、感情の正反対である劣等な思考の妄想性がそこに加われば、更に顕著になる。以上、長々とイデオロギー好きのタイプに関しつまらぬ話を述べた。消えたと思っていた林道義のホームページ(林道義も実はイデオロギー好きの評論家肌だ) http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/ が実はどうやら移動しただけだった事を指摘して、"Jungタイプ論のJung派による解釈"を終わりにしたい。 | |
| Jungタイプ論のJung派による解釈(その10) | 2003年9月10日(水) |
| ひまじんネット | |
今日は意外にも雨後曇。今週末までカラッとしない天候が続く様だ。左の写真は「飛鳥京ルネッサンス」のパンフレット。9/11〜11/3迄、日本古代国家誕生の地である明日香村とその周辺の市町村で、数々のイヴェントが行われる。さて本論に入るが、これまでJungが描写するタイプの中で、林道義のイデオロギー好きな外向思考型(内向思考型)に近いのはどれか、考えていた。筆者の思考型に対する解釈をまとめると以下の通りだ。◆外向思考型 理想主義者にもなり得るが、非合理性を排する故ノンポリな商人・科学者・技術者の典型でもある。イデオロギー好きに見える場合もあるが、その動機は劣等な感情に支配されない限り、テクノクラート的な関心に留まっている。但しイデオロギーに入れ揚げている者からは、冷静さが反対意見の支持として映る事もあるかもしれない。 ◆内向思考型 外向思考型に比べずっとイデオロギー好きに見えるが、単に頑固なだけ。 どうも筆者にとって思考型は信念は持っても信仰は持ち難い人柄、即ち何かを強烈に信じ込んではいてもそれはただ単に真実だからであり、少なくとも当人の主観のレベルでは人為的な個の主張には全く関心を抱かぬ性格だと思えてならない。また目で見、手で触れられる世界に没頭しており、大きな野心も持たぬ感覚型は外向、内向を問わず主義主張に染まるタイプではない。ある意味、健全。続いて感情型と直観型に関しては以下の通りだ。 ◆外向感情型 背伸び指向の教養派。何度も試されて定評を得るに至ったちょっとスノッブな価値観へ追従したがる為、人道の匂いを帯びた社会的な主義主張に凝る可能性はある。 ◆内向感情型 お高い態度を示すと言う意味で教養としてのイデオロギーに詳しい場合も。劣等な思考に支配されると、妄想を抱くのでイデオロギー好きに見える。 ◆外向直観型 新しい概念には敏感であるからイデオロギー好きに見える場合もあるが、動機面では外向思考型に似て至って冷静。 ◆内向直観型 荒野の説教者と言うJungの形容故、内向直観型は今の所イデオロギー好きの第1候補。 結局、JungがIsraelの預言者に擬えている内向直観型が最もイデオロギー好きの候補として有力。しかし筆者は別の解釈を抱いている。この続きは明日。 | |
| Jungタイプ論のJung派による解釈(その9) | 2003年9月9日(火) |
| ひまじんネット | |
今日は晴。夜の帳に穴が開いたように、月のすぐ傍に火星が見えていた。左は2002年5月の唐招提寺うちわ撒き(奈良県奈良市)の前座として行われた舞楽の写真。踊り手が舞台へ登壇。さて昨日、劣等な思考に触れた。而るに劣等な思考があれば同様の感情・感覚・直観もある。筆者は思考型をイデオロギーに凝る人柄からは遠いタイプ、仮にそう見えてもその実態は冷静なテクノクラートタイプ、であろうと見做しているが、思考型も劣等な感情に囚われていればこの限りではない。下記はJungによる外向思考型に於ける劣等な感情、即ち劣等な内向的感情の現れ方の説明だ。◆・・・感情は無意識の内に個人的な問題に極端な程過敏であり、一定の偏見を密かに持たせる元になっている。例えば公式に対する客観的な反対を個人的な悪意による物と邪推したり、他人の論拠を予め無効にする為--言い換えると自らの傷つき易い所を守る為--常に他人の良い所を頭から否定してかかろうと身構える事になる。 昨日・一昨日の劣等な思考に似ているが、敢て相違を挙げれば、劣等な思考が噂好きな珍論奇論妄論の製造機に似てまだしもユーモラスであったのに対し、劣等な感情は「傷つけられた」と言う認識を経由し、姿のない敵から自分自身を守る目的に集中している点でより深刻だ。だから劣等な感情のほうが、知識人・文化人風だ。Jungは続ける。 ◆無意識的に傷付けられると言葉の調子が荒々しく鋭く攻撃的になる事が極めて多い。あてこすりも多くなる。こうした感情は、劣等機能の常であるが、執念深い性質や根に持つ性格を帯びる。そこにはルサンチマンの萌芽がはっきりと見られる。 思想信条の類に惹かれる者、いやそればかりではなくもっと冷静な思索を生業とする者ですら、素人目の理解力を超えた分派主義に傾くのも、こうした所にその理由があるのだろうか。 なお、筆者は今の日記を書き始める以前、やっぱり「ひまじんネット」で日記を書いていた。しかしE-mailアドレス変更の為止むを得ずこの新しい日記を登録し、古い日記は「ひまじんネット管理組合」に消去してもらった。従って古い日記 http://www.himajin.net/diary/p3388.html をブックマークに登録していた方は、ここ、即ち http://www.himajin.net/diary/p6109.html に変更して頂きたい。 | |
| CGIBOYの対応/Jungタイプ論のJung派による解釈(その8) | 2003年9月8日(月) |
| ひまじんネット | |
今日は晴。左は2002年5月の唐招提寺うちわ撒き(奈良県奈良市)の前座として行われた舞楽の写真。次の踊り手が登場。余り知られてはいないが、とあるチャットを覗いていると◆エニアグラムと音楽家(ホアン・カトレット著)[新世社] ◆スタンフォード式エニアグラム診断と解説〜エッセンシャル・エニアグラム〜[亀田ブックセンター] なる日本語の本があるようだ。前者は初耳。後者はPalmer系で簡単なテスト付き。またMBTIに関しても ◆MBTIタイプ入門〜職場編〜[金子書房] と言う新刊が出ているが、本題はここから。話題1:筆者はCGIBOYの日記も今年2月頃迄書いていたが、アップロードした画像の自動縮小機能がない事、うっかりインストールするとなかなかアンインストール出来ないソフトを奨める小窓式広告が出る事から、それ以降ずっと放置していた。脱会の方法が分からなかった為である。そこで思い切って脱会方法をサポートへ尋ねた所、筆者の日記はβ版の為、今後脱会機能も追加するとの返答。脱会の方法がなレンタル掲示板・日記・ホームページなんて最悪だ。そう言えば筆者が一時的に利用していたLycosの日記は脱会後も残っていた。今、Infoseekに吸収された為自動消滅したが。 話題2:Jungのタイプ論では思考機能は感情が支配的である場合、従属的であるどころか抑圧されている。従って否定的な性格を帯びる。Jungはこの様な例を挙げている。 ◆2人の男の間に一見した所客観的な事項を巡る争いが起きると、否定的な思考は「背後に女がいるな」と言う。誰かがある事柄を主張したり宣伝したりしていると、否定的な思考はその事柄の意義については触れず、「あいつはあれで幾ら儲けるのか」と尋ねる。 この様な発想法は芸能ゴシップ好きのおばさんを連想させるし、また政治家と週刊誌の論争に似て至極現実的だが、凝り固まるとやはり昨日の内向感情型の劣等な思考に似た妄想的性格を帯びるであろうと想像出来る。妄想的という点では、Jungはこれと全く似ていない否定的思考も挙げている。 ◆神智学的思考は一見したところ少しも還元的ではなく、森羅万象を超越的で宇宙を包摂する理念へと高めている。例えば夢はもはや取るに足らぬ物ではなく、「別次元」での体験とされる。テレパシーと言う現在の所まだ説明の付かない事象は、ある人から別の人へと伝わる「波動」としてごく簡単に説明される。 UFOや宇宙人、湖底の怪獣やこれを倒す正義の味方は何時の時代も子供心をときめかせて止む事はない。ただこの所宗教まがいの変な団体がマスコミの口に登る事があるし、Jungの時代もそういう流行があったのだろうか、「神智学」なる具体的名称が挙がっている。そもそも筆者がここ数日「Jungタイプ論のJung派による解釈」なる題名で日記を書いているのは、林道義の思考型の描写に疑問を感じて知識人・文化人風の人柄をJungの思考型以外に探そうと思い立ったが為だが、実はここで火星表面の映像が人面ピラミッドだ、等と神話的な事を主張しながら続いて、子供がTV番組等で大人の演歌を歌うのは怪しからん、と言っている本があった事を思い出してる。思想信条の類に凝る傾向と神秘主義に魅力を感ずる傾向、相関するのだろうか。 | |
| Jungタイプ論のJung派による解釈(その7) | 2003年9月7日(日) |
| ひまじんネット | |
今日は晴。左は2002年5月の唐招提寺うちわ撒き(奈良県奈良市)の前座として行われた舞楽の写真。踊り手が去って行く。これで昨日からこの日記も何とか「祭りの写真/心理学の日記」なる題目に恥じない日記になったが、何時まで続くか。作業効率化にはデジカメが一番だが、祭りの写真に使える俊敏さを条件とすると少数の機種に限られる。注目の新製品はNikon D2Hだが、高額。やれやれ。さて昨日まで、林道義著"心のしくみを探る"に現れたイデオロギーに傾倒するタイプ(外向思考型をその典型としているが、内向思考型もそう)は、Jungではどれに相当するか考えて来た。その結果少なくとも筆者の印象では、思考型は寧ろイデオロギーに染まらぬタイプと思われる事を述た。而るに昨日最後に、Jungの記述から挙げた荒野の説教者は内向直観型。他の内向型にも似た面はある。◆自分の生み出した物は自分にとって主観的に正しく真実であると思えれば、それは客観的にも正しい筈であり、他人はこの心理に頭を下げる筈である。 これは内向思考型。頑固で独善的な人柄を思わせるが、この傾向が思想信条の信奉者と言える水準に至るか否か、筆者は思考特有の価値中立性に基づいて否、と答えた。Jungにもこんな記述がある。 ◆たとえ自らの思想を世に出すにしても、母親が心配しながら子供達を送り出す様にではなく、投げ出す様にし、・・・・如何なる形でも宣伝を嫌う為、どうしてもそうならざるを得ないのである。 これは社会的技能に欠けた象牙の塔の住人、とまでは行かぬが、職人やその他専門職にありがちな問題点だ。だから内向思考型が何か頑固に主張している場合、周囲からの圧力を跳ね返そうとしている場合が殆どで、自ら積極的に発言する事は滅多にない。而るにイデオロギーに凝るタイプの特徴はやはり宣伝好き。やはり内向思考型はそうしたタイプの典型とは違う。内向感情型はどうか。 ◆彼女達は大抵もの静かで近寄り難く不可解で、しばしば子供っぽい仮面や平凡な仮面の陰に隠れており、しばしばメランコリー気質を持っている事もある。 深窓の令嬢の如くだ。 ◆確かに穏やかに協調的に歩調を合わせようとする気持ちはいつも持ってはいるのだが、見知らぬ客体に対しては愛想良く温かく迎える態度を見せず、無関心にも見える冷たい態度を執り、拒絶的な態度さえ執るのである。時には相手に自分は余計者なのだと感じさせてしまう。 外向感情型はスノビッシュな流行を追うタイプだったが、内向感情型もお高い態度を示す事という面ではスノビズムに棹差している。だから専門的、と言うより趣味的な興味で歴史、文学、芸術、音楽等と似たような意味での社会制度に関する思想信条にも惹かれる可能性はある。更に注目すべき箇所はここ。 ◆意識が「他人の考えている事」を感じ始めるのである。勿論他人が考えているのはありとあらゆる卑劣な事は悪巧みであり、密かに誰かをけしかけて陰謀をたくらんでいたりすると言うわけである。これに対し主体は自分の方から機先を制し、予防の為の陰謀を企み、他人を疑って盗み聞きし、それらを総合して判断を下す事を始めなければならない。 これは内向感情型にあっては無意識に押し込められている劣等機能としての思考が働き始めた状況の記述だ。これが所謂陰謀論、即ちMel Gibsonの映画"陰謀のセオリー"にもあった様に政府や左右の政治的な団体、民族の集団等がとんでもない悪事を画策していると言う思い込みであり、イデオロギーに染まった者もそういう様相を呈する場合がある。但し劣等機能としての思考の現れ方は陰謀論に限定されない。この続きは明日。 | |
| Jungタイプ論のJung派による解釈(その6) | 2003年9月6日(土) |
| ひまじんネット | |
今日は晴だが、一時的に雷雨。インターネット界ではNikon D70なる普及指向のデジ一眼の噂が流れている。これは、NikonがD70と言う言葉を商標登録したと言う噂からの派生物らしい。またMinolta Zeusの噂には8/27に触れたが、数日前からは、10月に撮像素子側でカメラ振れを補償するデジ一眼の発表があるのでは、と言う噂も。さて久し振りに祭りの写真に関する作業を再開。左は2002年5月の唐招提寺うちわ撒き(奈良県奈良市)の前座として行われた舞楽の写真。何故作業が必要か、と言うとスキャナーで電子化したばかりのデータを1駒当たり20〜30KB程度まで縮小する為である。ここでやっと掲題の話を始めるが、Jungの手による内向型は世間的な認識と異なり、かなり自己主張するタイプだ。◆ある人は外が寒いという事実があるとすぐオーバーを着ようとするが、しかし他の人は身体を鍛えたいと言う理由からオーバー等余計だと思う。ある人は世間の人が皆賞賛しているという理由で新進のテノール歌手を賞賛するが、他の人はかれが気に入らないと言うよりは、寧ろ皆が賞賛している者が必ずしもそれに値するとは限らないと言う考えから、彼を賞賛しない。ある人は経験に照らしてこれ以上は有り得ないと言う理由から既成事実に従うが、しかし他の人はもう1000回も同じ事が続いたのだから1001回目には新しい事態が生じるはずだと固く信じている。 林道義が思想信条の類に肩入れしがちとしている外向思考型は、"思想信条"と言う言葉を意識してこの面だけ見れば内向寄りに見える。と言うのはそもそも思想信条の類は個人の好み以外にはっきりとした根拠を見出し難い思い込みだからだ。その反面、林道義の記述 ◆例えば、マルクスが「封建制は資本主義になる。資本主義は社会主義になる」と言う公式を作った。だからマルクス主義者と言うのは皆それを信じている。これは外向的思考型の典型的思考様式で、外から与えられた公式をそのまま信じていて、世の中はその通りになると信じている。 では、思想信条と雖も外界から外向思考型の思考に入った信念である側面が強調されている。だから、 ◆思想信条は他人が作成すれば外界の物である ◆思想信条はその起源によらず客観的な妥当性の判断よりも主体の信ずるか退けるかと言う主観的選択を経るから内的意見である と言う2つの解釈の何れを選択するかで、全く異なる答えが出る。前者ならが林道義の外向思考型がJungの外向思考型と一致する確率は高まるし、後者ならば低まる。筆者の意見はもうお分かりの通り後者の解釈を選んでいるから、林道義の外向思考型はJungのどこか他のタイプに相当すると考えている。そう言う目で見るとJungのこんな記述が見つかった。 ◆彼の話す事は世間の人々の話す事とは違っており、余りに主観的過ぎる。彼の論証には他人を納得させる道理が欠けている。彼に出来るのは只告白し述べ伝える事だけである。彼は荒野に叫ぶ説教者である。 上述のタイプは如何にも林道義の外向思考型にそっくりであるし、また自ら心情を"心のしくみを探る"にちらりちらりと織り込んでいる林道義自身やその他"右や左"の旦那様が意見を述べる様子も全く上述の"只告白し述べ伝える事だけ"や"荒野に叫ぶ説教者"なる表現と整合する。どんなタイプだろうか。 | |
| Jungタイプ論のJung派による解釈(その5) | 2003年9月5日(金) |
| ひまじんネット | |
|
今日は晴。8/31以降ずっと、林道義著"心のしくみを探る"でイデオロギーに凝るタイプとして描かれている外向思考型は、本当にJung自身の手による外向思考型に似ているか、それとももっと他のタイプに似ているか考えて来た。その結果、各外向型を見る限りでは何れもイデオロギー指向ではないが、敢て言えばちょっと背伸びをした感じの外向感情型や野心的な外向直観型は社会の有り方に関する思想信条の類に関心を持つかもしれない、と筆者は指摘した。この点、Jungに基づく限り外向思考型は道徳的人間であり、且つ客観的人間でもあるから、どちらが主であり従であるかによって筆者の疑問の答えは大きく違って来る。但し後者が正解であっても、林道義の様に何らかの権威主義に心酔(又は反対)している人間は、客観的な人間を敵の陣営に加わっていると錯覚するかもしれない。また外向感覚型は目で見、手で触れられる世界の住人だから、そもそもイデオロギーに染まる人柄ではない。 ところで林道義の主張に従うならば、内向思考型も宗教的な頑固者、即ち外向思考型に似たイデオロギーに凝るタイプだ。ここで"凝る"とは言う迄もないが、客観的な証拠を伴わずして信じ込んだり疑ったりする事であり、客観的な探究心の対象として取り上げる意味ではない。では早速Jungの記述を見よう。 ◆このタイプも外向思考型と同様に理念に決定的に左右されているが、但しその理念は客観的事実ではなく主観的な基盤に由来するものである。 ◆彼[=内向思考型]の判断は冷淡・強情・独断的・思いやりがない・様に見える。といのは判断が客体よりも主体に結び付けられているからである。 ◆自らの理念に忠実な余り、彼は大抵頑固、強情で、他人の言には耳を貸さない。 この様な傾向は客観的根拠のない、いやそれどころか思考にある筈の論理性さえもない、心情的な信念そのものだ。だからこの調子で行けば内向思考型はそれこそSprangerの流儀によれば理論人よりも宗教人(殊に内在的宗教人よりも超越的宗教人)になりそうである。しかし如何にもJungらしい事だが、別の箇所で思考型(外向・内向を問わず)のこんな面にも触れている。 ◆・・・真に哲学的に思考する為には、例えば意思の自由について考えるほうが、ノミの分類について考えるよりも価値のある事だ、と言う考えは排さなければならない。 出典は忘れたが、Jungの"分析心理学"だったか何かの講演集だったと思う。意志の自由に関する得てして思弁的な思考をそれ以外の思考に比べ上位に置くのは並の哲学者ならばやりそうな事だが、この癖は内向思考型の"主観的な基盤に由来"とも整合する。しかしJungはそれは真の哲学的思考ではない、と主張する。そうするとまして特定の思想信条に肩入れするのは思考型の精神とは相容れない事になる。結局、内向思考型は外向思考型に比べれば遥かにイデオロギーに肩入れするタイプの有力候補に見えるが、実はそうではないかもしれない。 | |
| 試行開始 | 2003年9月4日(木) |
| ひまじんネット | |
|
今日は晴。今までとあるメールアドレスでこの日記を登録していたが、その消失が時間の問題となった為、別のメールアドレスで新たに日記の登録を行った。その際、いっそ他の日記を試してみようとも考えた。しかしやはりここに留まる事に。その理由は以下の通りだ。 ★アップロード 画像のアップロードを可能としている所は他にもある。しかし画像の自動縮小を行う所は珍しいのではないか。なお、写真は可だがイラストは駄目、と言う不思議な規則を定めている所もある。 ★デザイン ここの日記のデザインは最も単純至極。しかし、幅も高さも見る者それぞれのインターネット界に於いては、そうしたデザインなきデザインが最も優れたデザインである。 ★保存日数 筆者は大体1〜2週間に1度、ここに書いた事を削除しホームページに移しているが、それでも保存量は多いのが望ましい。 ★広告 広告がないのもここの利点。なお、レンタル日記で現れる広告の中にはうっかり触ると勝手にソフトをインストールするアダルトまがいの小窓式広告もあるから要注意だ。 | |
| Jungタイプ論のJung派による解釈(その4) | 2003年9月3日(水) |
| ひまじんネット | |
|
今日も晴の蒸し暑い日だが、少し俄か雨が降った様だ。昨日、林道義の指摘する外からの公式をそのまま信ずる態度は、外向感情型の傾向かもしれないと述べた。少なくとも外向思考型よりは近い。残る外向型は外向感覚型と外向直観型だが、この内外向感覚型はイデオロギーに染まる様な人柄ではない。外向直観型はJungにより以下の様に描かれている。 ◆商人・実業家・投機家・ブローカー・政治家等の多くはこのタイプに属している。 外向直観型は胡散臭いが、それでも当たれば大きく成功する生産的な人柄である様だ。Jungは更に続ける。 ◆こうしたタイプが国民経済にとって、また文化を振興する者として極めて重要である事は容易に理解されよう。彼が良い人柄であれば、即ち余り利己的な構えを持っていなければ、彼は発起人として・少なくともあらゆる事柄の開始を促進する者として・多大な功績を挙げる事が出来る。彼は将来のある全ての少数者に対する生来の味方である。 外向直観型は"少数者に対する生来の味方"とされている。だからもし外向直観型が有望な少数者、即ち大きな可能性を秘めた新しい製品やサービス、企業、政策等を巧く探し出せたならば、まさしく経済や文化の推進者になる。そして政策に似ていなくもない思想信条の類もこの例外ではなく、外向直観型を強く惹き付けるのではあるまいか。しかし、外向直観型はすぐ信じ込む分だけ、役に立たぬとなればすぐ飽きる無節操でドライなタイプだ。従って寧ろノンポリ。ところでまたスパムだ。210.52.9.76はZhengZhou Television Network(中国)の回線だ。 X-From_: gocchann@love2.com Sun Aug 31 14:18:01 2003 Return-Path: <gocchann@love2.com> Received: from 210.52.9.76 ([210.52.9.76]); Sun, 31 Aug 2003 14:17:47 +0900 (JST) From: "David" <gocchann@love2.com> Subject: ***@綫D@*** (ID:MRXW) X-Priority: 3 Reply-To: gocchann@love2.com Message-Id: <FVu3q.iQFjaJ@2> Date: Sun, 31 Aug 2003 01:24:25 +0800 X-MimeOLE: Produced By Microsoft MimeOLE V6.00.2800.1106 X-MSMail-Priority: High Mime-Version: 1.0 | |
| Jungタイプ論のJung派による解釈(その3) | 2003年9月2日(火) |
| ひまじんネット | |
|
今日は晴の蒸し暑い日。秋は何時になったら到来するのだろうか。さて早速、林道義の描く「イデオロギー好きの外向思考型」に近いタイプは、Jungでは何に相当するか考えよう。先ず、 林道義の外向思考型がやはりJungの外向思考型である可能性がある。そもそもJungのタイプ論が過去の先人達の考えに勝っている点は、無意識を取り上げる事で1人の者の一見矛盾する行動を説明出来ている所にある。だからこそ、Jungは外向思考型のこうした側面も見逃さない。 ◆・・・それとは絶対的に対立する無意識的な立場が形成されるが、後者は例えば意識的な合理主義とは対照的に極めて非合理的であり、意識的な立場を採る現代科学とは対照的に極めて太古的・迷信的である。 迷信的とはまさしく主義主張に凝り過ぎた状態だ。但しこれは外向思考型の意識的な傾向ではなく、無意識の劣った感情や感覚・直観の影響。そうするとイデオロギー好きは基本的に外向思考型以外のタイプの特徴であり、その太古的な状態が外向思考型の無意識にも垣間見られる、と解釈するのが正しい。そこで他のタイプだが、例えば外向的感情には、社会が認めた物を更に追認強化する作用がある。 ◆こうして例えばある絵画を「美しい」と言う時も、それはサロンに掛けられている有名な画家のサインの入った絵画は一般に美しいはずであるからとか、「嫌い」と言う術語を述べると幸せな気分になっている持ち主の家族の感情を損なうかもしれないとか、訪問者の側に心地良い雰囲気を醸し出そうとする意図があり、その為に是非ともあらゆる事を心地良いと感じなければならないから、と言った理由に拠る物である。 独自の判断に先立って周囲の人々の気分を尊重する態度は、日本的な躾の理想そのままだが、これが外向的感情だ。Jungは続ける。 ◆・・・大勢の人々が劇場や演奏会や教会に行き、しかも如何にも杓子定規にそれらを受け入れようとする気持ちを以って行くのかと言うと、それは大部分この主の感情による物である。流行や--これより遥かに価値のある--社会的・人道的・その他の・文化事業が積極的に幅広く支持されるのも、このせいである。 ちょっと教養派めいた価値観を余り考えず受け取って信じている様子は、これまた日本的な知育の理想そのまま。しかし真剣な知的関心が伴っているとは思えない。要するに装身具としての教養。外向感情型の女性の伴侶の選択方法もこの調子だ。 ◆選ばれるのは「相応しい」男性であり、それ以外は選ばれない。彼が相応しいとされるのは、その女性の内に秘めた主観的な本質に彼がぴったりするからと言うのでは決してなく--大抵の場合彼女はこの様な事に気付きもしない--、身分・年齢・資産・立派な家族・に関する合理的な要求に彼が合っているからである。 娘を持つ大多数の親が望む結婚がここにある。ここで外向感情型の傾向を一言で述べると社会的価値観への追従になる。但しこの"追従"は有名な画家の絵だとか、劇場や演奏会や教会とか、人道とか、社会が勝手に定義しているような適切さに基づく結婚だとか、何れも流行の最先端ではなく、何度も試されて定評を得るに至ったちょっとスノッブな価値観への追従である。そうするとMarx主義もフェミニズムもその他の主義も、凡そ社会のあり方に関する主義は人道の匂いを帯びているから(匂いだけの場合が多い)、林道義の指摘する外からの公式をそのまま信ずる態度は、実は外向感情型の傾向かもしれない。 | |
| Jungタイプ論のJung派による解釈(その2) | 2003年9月1日(月) |
| ひまじんネット | |
|
今日は晴。相変わらず蒸し暑い。昨日、外向思考型の林道義による描写とJungによる描写を比較し、その類似性を指摘した。その際はっきり言わなかったが、林道義の外向思考型のイデオロギーへの傾倒振りを、筆者は、客観性合理性から導き出される優劣の判断を越えた強い信奉として解釈していた。これは ◆私も35年前は「お前は帝国主義の手先だ」等と言われ、随分虐められた。 という箇所からも想像出来る。もし虐め役がノンポリ派はならば、帝国主義者を煙たがる事はあっても、それを錦の御旗として虐める事は先ず、ない。そこで取り敢えずJungによる外向思考型の描写を続けよう。すると今度は、外向思考型のノンポリ派の側面が見えて来る。 ◆彼[=外向思考型]の理想は如何なる状況の下でも現実化されなければならない、と言うのはこれは客観的事実の最も純粋な表現であり、それ故普遍的妥当性を持った真理である筈であり、人類の幸福に欠く事の出来ない物の様に、彼には思われるからである。 "客観的事実の最も純粋な表現"がイデオロギーならば、これが"人類の幸福に欠く事の出来ない物"とは失笑で世間知らずな意見だが、もし冷静で現実的な経済政策ならば上に引用した文章はスラスラと読める。そうすると確かにJungは外向思考型をある面、道徳的人間として描いてはいるが、"客観的事実"に即した人間としても描いている。だから"道徳"と言う言葉を外向思考型固有の価値判断、つまり"客観的事実に合致する意志やそうなった状態"として解釈し、大胆ではあるが"真理"や"科学"や"合理的政策"に置き換える事が許されるならば、林道義の描くイデオロギーへの傾倒も、未来予測理論への関心以下でも以上でもないノンポリ型の関心の持ち方と受け取れる。実はこうした見方に近い要素が、ちゃんとJungにもある。 ◆このタイプに於いて何よりも先に抑圧されるのは感情に依存するあらゆる生の形式、例えば審美的活動・趣味・芸術的感覚・友情の涵養・等である。宗教的体験や情熱と言った非合理的な物はしばしば抹殺されて完全に無意識化している。 "審美的活動"や"宗教的体験"等に於いては客観的優劣の定かでない個人的な好き嫌いが堂々と現れるし、まして"友情"では非客観性こそが本物と見做されるが、イデオロギーの世界も全くその通りで、結局Marx主義者と帝国主義の手先の対立はその本質に於いて異なる野球チームのファン同士の関係とそんなに違わない。とすればそもそもイデオロギーに傾倒しやすいタイプとして外向思考型は真っ先に除かれるべきタイプである。 ◆商人や技術者や自然科学者の現実的な思考が客体の方を向いている事は一見して明らかである。 商人や技術者や自然科学者は大抵、思想信条の世界には冷淡だ。従って林道義には、外向思考型の客観性がノンポリで能天気に見え、ノンポリな能天気さが人生で重要な課題への無関心に見え、無関心が反Marx主義の反対であるMarx主義への賛同に見え、結果的に外向思考型が主義主張の類に囚われ易いタイプだと誤って描かれた可能性もある。それでは林道義の描く「イデオロギー好きの外向思考型」に近いタイプは、Jungでは何れだろうか。 | |