| ホームページ本館更新 | 2008年9月24日(水) | |||||||||
| Infoseek | ||||||||||
| 今日は曇時々晴。久し振りにホームページ本館を更新したが、実はカウンターが消滅。 | ||||||||||
| ||||||||||
| 言葉の意味:優等生 | 2008年9月21日(日) | |||||||||
| Infoseek | ||||||||||
|
今日は曇後雨。17日に挙げた2つのホームページ、即ち http://anond.hatelabo.jp/20071105005919 | ||||||||||
SIerの人事は情報工学科出身者は求めていない。それどころか理系出身者すら求めていない。工学を学んだ者の目指すものはまあ大体
理系はシステムなんかを真面目に作っちゃったりするし、顧客の目的を十分に満たして良いシステム作ろうなんて無駄なことしちゃったりする。「技術的になんとかする」のは理系に期待されることが多いし、実際に期待通りに解決するのは大抵理系だ。しかし評価·感謝はされない。SIの本質は「バカに金を出させて仕事をしないで責任を顧客か下請けに押し付ける」ことで、それをやったにもかかわらず顧客が金をとりかえそうとしなければ大成功だ。 | ||||||||||
|
と、 http://semiprivate.cool.ne.jp/blog/archives/000474.html | ||||||||||
ある課題を与えられた時に、
「獲物を多く取った人間に分け前が多く行く」···というのは、社会が提供するルールだ。( ルールはこうなっている、と社会が主張している、という方がより正確だけれど。 )アゴンのプレイヤーは、このルールを信頼して獲物を取ることに熱中する。アレアのプレイヤーは、このルールが穴だらけであることに眼を光らせる。 要するにアレアのプレイヤーが金銭的に富むのは、自分の縄張りを固守するのに全力を集中するからだ。「自分の能力」や「自分の手牌」には自信を持たないアレアのプレイヤーの方が、結果としては広い縄張りを安定して維持する。力が無いところには油断もない。そして往々にして油断が無いほうが結果的には強い。アゴンのプレイヤーは獲物を取るのに夢中で、縄張り争いに煩わされることを嫌がる。「自分の手牌を進めることに夢中」というわけだ。 | ||||||||||
|
をまた引用(要約)する。文系=アレア=「科学技術の基本」を学んできた人たちが苦手にする仕事群と理系=アゴン=工学を学んだ者の目指すものとの間に、相関がありそうだが、この違い、文系と理系の差としてのみ、捉えるのはもったいない。 この世には"優等生"と云う言葉が存在する。優等生と云う言葉を学生に適用する場合、学業成績の面で優れていて、遅刻·欠席·掃除サボリもやらないので親や教師には気に入られる様な人物像を意味していると共に、対人関係や世俗的な要領の良さは期待できないマイナス面をも示唆している場合が多い。 一方、社会人を優等生と形容するとなると、仕事もまぁ、そこそこ抜きん出てはいるが、それに留まらず、成果を上司に売り込むのも巧い、と云った印象が伴う。優等生学生にも親·教師に気に入られる取り柄があったが、これは結果論であり、優等生社会人はもっと自分自身の対外的イメージを操作し、必要とあらば「バカの夢を壊さないであげて、夢を捻じ曲げて、こっちの都合のよいように洗脳し、不要なものを売りつける」事も厭わない。つまり優等生社会人は世故人情に長けた世渡り上手であり、勉強以外の物事が身に付いていなさそうな優等生学生とは大きく異なる。実社会と学校に於ける優秀さの違い、まさに、アレア=「科学技術の基本」を学んできた人たちが苦手にする仕事群とアゴン=工学を学んだ者の目指すものとの違いにそっくりだ。 なお、優等生学生(特に実社会で落ちこぼれる優等生学生)はアゴン人である可能性が高いが、その逆は必ずしも成立しない。筆者自身が生きた証拠だった。 また勿論乍ら、実社会と雖もアレア精神一色ではなく、アゴン精神が要求される部門も多い。だが如何にアゴン的な職場であっても、昇進すればする程、アレア的な立ち振る舞いが要求される傾向が(少なくとも日本企業には)ある。いわゆる昇進うつ病とはアゴンからアレアへの相変態の失敗である場合が多いのではないか。 | ||||||||||
| 言葉の意味:マザコン | 2008年9月18日(木) | |||||||||
| Infoseek | ||||||||||
|
今日は台風が西日本に接近しており、曇時々雨。 | ||||||||||
| 今日は世間と異なり出勤日で、気が付いたら何と普段の通勤用の鞄のファスナーが裂けていた。よって急遽、一回り大きい旅行鞄(何と筆者の高校時代の修学旅行用)にガバッと入れて出発。天候は朝、曇。天気予報を信じてまさか雨は降らないだろうと思っていたら昼前からずっと雨。但し夜になってやっと晴れている。高校時代というと思い出すことがある。筆者が使っていた英語の参考書には「···英語の問題には犬と猫が喧嘩して犬が猫の耳を食いちぎったといったような具体的な話は無いのであって···抽象的な話が多い···」という一節があった。抽象的な話の例としてイギリス政治の本質はcompromise(妥協)であるとした専門的な英文が出ていた。因みに冒頭の鞄云々の話は具体的な話である。これは1つの具体と抽象の例だが、後者といえども政治という現世的な対象を扱っている点で"具体的"と評されても変ではない。政治の世界に比べ、数学や物理学の世界は理論的であるから抽象的と称される場合もある。しかし、そうした体系立った物を寧ろ具体的、論理とは対立する意味での思弁(speculation)を抽象的と称する場合もある。後者の立場が昂じると気分や情緒が抽象物の典型になる。七光線性格学(奇数光線が具体的/偶数光線が抽象的)や岡田斗司夫「人生テスト·人を動かす4つの力」(王様·軍人·学者·職人の4つのタイプ)の立場は最後の立場である。全く、言葉は難しい。 | ||||||||||
|
これは筆者自身の2003年2月11日(火)の文章で、状況により抽象·具体の意味が大きく変化する例として挙げた。似た例は、人間の性格を示す言葉の世界には多いのではなかろうか。例えば昨日、"文系 理系"を挙げたが、"理系"でgoogleトップを獲得したホームページは"理系のための恋愛論" http://journal.mycom.co.jp/column/rikei/ だ。内容は"理系·文系を問わない男のための恋愛論"とも、"理系のための処世術論"とも解釈できる話だが、例によって言葉の定義らしきものの違和感に、筆者は惹かれてしまう。 http://journal.mycom.co.jp/column/rikei/029/ にあるのは、 | ||||||||||
|
恋人(彼女)に対して冷たく、いばりくさった態度を取る男と、自分の母親にやさしさのかけらもみせず、まるで家政婦さんのように身の回りのことをやってもらっている男。どちらもとっても「やな感じ」の男にみえますが、では、どちらがより「いやな男?」と問われれば、わたしは迷わず、自分の母親に対して冷たい男をいやだと思う、そう答えたい。 今回は、女性がいやだと思う「マザコン」の定義について、考察しみることにいたしましょうか。 | ||||||||||
|
から始まるマザコンの話題。詳しい事は実際にホームページを見て頂きたいが、 | ||||||||||
|
近づいてみてみると、見覚えのある彼の字で先週1週間のスケジュールが書き込んであります。たとえば、先週の火曜日は午前中は半休を取っているから起床は10時。起きたら1時間入浴で、11時に朝食兼昼食を食べるとか、そんなことが書いてあるのです。 なんで、こんなことを書いて、居間のテレビの下に貼っているのかフシギに思い、Wちゃんは、さらに文字をよく追ってみました。すると、彼の細かいタイムスケジュールの横には、なんと、お母さんへの「指示」が書いてあるではありませんか。 要するに、10時に起きるときは、お母さんが10時までに風呂をわかしておいてから彼を起こし、11時までに朝食兼昼食として「オムレツとトーストとミネストローネスープを用意しておくように」という具合に、その白いペーパーは母への指示書になっていたのでした。 | ||||||||||
|
とある所を見ると、どうも母親に対して細かく指示したがる一種の亭主関白型の男を"マザコン"と称しているらしい。そして | ||||||||||
| 「だって、もし、このまま彼と結婚するようなことになったら、彼の指示書に従って、食事から入浴の世話までしなくちゃいけないのかもって想像すると、あたしにはとうていできないって思ったんだもん」と、Wちゃんはいいます。そして、その日以来、やはり実家暮らしをしていた彼女は、もっともっと母を手伝って、家事をするようになったということです。 | ||||||||||
|
と云う結末で、別れてしまった。だが通常、マザコンとは寧ろ母親の尻に敷かれた従順な男を意味する場合が多く、女がマザコンを嫌うのも、夫と同様、義母の尻に敷かれる事を警戒する為ではなかろうか。母親を家政婦扱いして細かく指示したがる男は、筆者の眼には、マザコンとは正反対の怖い先輩や雷親父や体罰愛好教師、即ち、男らし過ぎて女に敬遠されるマッチョ気取りに見える。マッチョ男は本来、大雑把で、"細かい指示"の細かい所がマッチョと矛盾すると云うならば、お局男とでも表現すべきかも知れないが。 勿論、理論上、母親に対して細かく指示したがる傾向は幼児的な依存性の現われである可能性もある。となると、どうしてもマザコンと形容したいのであれば、従順さ、気弱さ、青瓢箪振りと共通の心理的メカニズムで却ってマッチョ的言動がこれこれしかじかの理由で発現すると云う様な、きちんとした論証があるべきだ。 全く、言葉は難しい。 | ||||||||||
| 矢幡洋関連で | 2008年9月17日(水) | |||||||||
| Infoseek | ||||||||||
| 今日は晴後曇。ほぼ1年振り。バトルロワイヤル分析は3日坊主になってしまったが、筆者の結論を先に云うと、千草貴子にはサディズムの他、回避性·シゾイド性が少し混じっているのではないだろうか。単なるサディストとすると内気過ぎる為である。さて今日取り上げるのは読売ウイークリー9/21号。矢幡洋が首相候補たり得る有力者の分析をしている。 | ||||||||||
| ||||||||||
その内容は下の表の様だ。
マゾヒズムとは自虐的、人間関係重視、逆境·我慢好き、サディズムとは自信家、リーダー的、攻撃的の傾向であり、何れにせよ性的な意味合いはない。麻生太郎は、その過激な言動からサディズム寄りに見えるが、実は冷や飯の食いっぱなしで、高貴な出自にも関わらず、傍流·マイナーな側にその身を置いて来た。ここに矢幡洋は、苦労する道を何時の間にか選んでしまうマゾヒズムを見抜いている。 だが筆者の目を惹くのは立身出世vs政策実現の縦軸。マゾヒズムvsサディズムの横軸よりも。政策実現寄りに分類されている野田聖子に対しては | ||||||||||
| 少子化対策等の政策に明るく、M系の強みを発揮すれば、将来の首相も見えて来るだろう。 | ||||||||||
|
と、ちょっと好意的。渡辺喜美に対しても、 | ||||||||||
| 対人関係の重要さに気が付けば、実行力のある宰相になるかもしれない。 | ||||||||||
|
とその言葉は暖かい。一方、立身出世寄りとされる石原伸晃に関しては、 | ||||||||||
| ······特に強調する政策が見えない一方で、寧ろ中途半端な上昇志向ばかりが見え隠れする。トップを目指すなら、M系が生まれ持つ調整能力を磨いて行くしかないかも。 | ||||||||||
|
と辛辣な言葉が投げ掛けられている。「ないかも」は「だろう」「かもしれない」に比べ、遥かに消去法的な表現だ。これが矢幡洋、読売ウイークリーの記者、どちらの好みを反映しているか不明だが、立身出世志向の政治家への不満が見て取れる。 更に今、総裁選の2位争いの目玉になっている小池百合子に対しては、安部内閣時代に防衛大臣を電撃辞任した前科を踏まえつつ | ||||||||||
| ······唐突に辞任し、周囲が慌てふためくのを見て、自分の存在感の大きさを再確認する。 | ||||||||||
|
と手厳しい。サディスティック且つ出世志向のグループは、ともかく言葉だけを捕らえれば一番、政治家向きに思えるが、ここに入っている安部晋三·福田康夫は政権を1年で投げ出したし、小沢一郎も連立騒動で党首を辞めたいと言い出していた。小池百合子にも共通の何かがある。 立身出世vs政策実現の縦軸はマゾヒズムvsサディズムの横軸に比べ目立たないが、仕事では大きな影響力を有しているのかもしれない。ここで思い出されるのが文系と理系(事務系と技術系)の人柄·職場環境の違いだ。googleで"文系 理系"を検索すると例えば http://anond.hatelabo.jp/20071105005919 が引っ掛かるが、要約すると、 | ||||||||||
SIerの人事は情報工学科出身者は求めていない。それどころか理系出身者すら求めていない。工学を学んだ者の目指すものはまあ大体
理系はシステムなんかを真面目に作っちゃったりするし、顧客の目的を十分に満たして良いシステム作ろうなんて無駄なことしちゃったりする。「技術的になんとかする」のは理系に期待されることが多いし、実際に期待通りに解決するのは大抵理系だ。しかし評価·感謝はされない。SIの本質は「バカに金を出させて仕事をしないで責任を顧客か下請けに押し付ける」ことで、それをやったにもかかわらず顧客が金をとりかえそうとしなければ大成功だ。 | ||||||||||
|
となる。SIer(システムインテグレーター)業界に限らず、多くの人々が出世をめぐって同じ土俵でせめぎ会う世界はこんなもんだろう。出世に有利な性格とそうでない性格。似た話題は他にもある。文系と理系の違いを自分以外の能力と自分の能力で戦うプレイヤーに擬する http://semiprivate.cool.ne.jp/blog/archives/000474.html は | ||||||||||
ある課題を与えられた時に、
「獲物を多く取った人間に分け前が多く行く」···というのは、社会が提供するルールだ。( ルールはこうなっている、と社会が主張している、という方がより正確だけれど。 )アゴンのプレイヤーは、このルールを信頼して獲物を取ることに熱中する。アレアのプレイヤーは、このルールが穴だらけであることに眼を光らせる。 要するにアレアのプレイヤーが金銭的に富むのは、自分の縄張りを固守するのに全力を集中するからだ。「自分の能力」や「自分の手牌」には自信を持たないアレアのプレイヤーの方が、結果としては広い縄張りを安定して維持する。力が無いところには油断もない。そして往々にして油断が無いほうが結果的には強い。アゴンのプレイヤーは獲物を取るのに夢中で、縄張り争いに煩わされることを嫌がる。「自分の手牌を進めることに夢中」というわけだ。 | ||||||||||
|
(要約)と主張する。所得格差は業種格差の問題でもあるから、個人が俎上に上がっている場合、"金銭"は"出世"や、これに伴う"権限"に読み替えるともっと分かり易い。 ここ迄述べて来た文系·理系の違いは学問の違いではなく、文系·理系出身者、或いは通常、文系·理系と看做されている職場環境の淘汰圧に耐えた者にあり勝ちな、人柄の違いである。ただ勿論、文系の世界でもアゴン主義者や、アゴン寄りの能力が要求される業務上のシーンは多いだろう。となれば矢幡洋の出世と政策の縦軸は、文系=アレア=「科学技術の基本」を学んできた人たちが苦手にする仕事群と理系=アゴン=工学を学んだ者の目指すもの、に酷似している。 最後に、筆者自身は圧倒的にアゴン寄りだろう。少なくともこれが原因となって、ある時期アレア的な上司にいびられた経験がある。だがマゾヒズムvsサディズムの横軸は今一つ判然としない。自信も攻撃力も無(→だから甘く見られていびられる)、リーダシップ欠如(→これも上司に物足りなさを感じさせた点)と云う観点ではマゾヒズム寄りだが、他虐的(→綽名を付けるのは孝謙称徳天皇並に大好き)、我慢強さ無(→今の仕事に関連した苦手領域があるので後で話題にするかも)、人間関係軽視を通り越して無視(→アゴン!)と云う観点ではサディズム寄りになる。MBTIのS/NやJ/Pに似た、分かり難さを感ずる。 | ||||||||||
| 表紙へ戻る | ||||||||||