綾紫の日記
2008年11月1日〜29日

 
日記書庫忍者館更新 2008年11月29日(土)
Infoseek
今日は晴後曇で夕方から時々雨。これまでの日記データを保存用の忍者館(lithium.makibishi.jp)へ。忍者館の更新は2年9ヶ月振りだ。

 
 
この他、休止していた掲示板を削除。妻の領分でも、8月31日に終了していたハーボットを、so-netのごめんなさい的な後継サービスであるハーボットクロック(<script type="text/javascript" src="http://www.so-net.ne.jp/character/harbot/harbotclock.js" charset="UTF-8"></script>)に取替え。
 
 
裁判員制度に反対 2008年11月28日(金)
Infoseek
今日は昨日からの雨が弱まり、薄曇。私のしごと館が目指している"職業キャリア教育"以上に目的が不明な国の事業、それが裁判員制度だ。裁判員制度に対して意見を述べる個人の例に違わず、筆者も裁判員制度には反対だ。筆者は法律には疎いので、裁判員制度が裁判をどう良い、或いは悪い方向に変えて行くか想像すら出来ないが(だが何となく後者に1票)、少なくとも運が悪ければ裁判員に選ばれるかもしれない弱い一介の庶民として、裁判員制度には反感を抱かざるを得ない。こうした状況で頼もしいのが西野喜一著"裁判員制度の正体"(講談社)だ。
裁判員制度とは地方裁判所で行われる一定以上の重大犯罪に関する刑事裁判へ、庶民を動員し、本職の裁判官と共に、事実の認定と有罪·無罪の判断、量刑の決定を行う制度。2004年5月21日、当時の小泉改革の熱狂の中、ひっそりと成立し、その6年後の2009年5月21日から施行される手筈になっていた。動員される庶民にとっては迷惑極まりない制度。丁度今日、裁判員として徴集されるかもしれない候補者に選ばれた事を示す通知書(赤紙)が、最高裁判所から全国に発送された。

筆者は今、自分自身も縁のあった人々も、選定から漏れてくれ、と祈るばかりだが、裁判員制度に反対する本の中で"裁判員制度の正体"を取り上げた理由は、庶民が如何にして裁判員制度から逃れるかを指南している点。呼出状(後述)が来ても知らぬ存ぜぬで通せ、犬が食べた事にしろ、裁判員になったら酔っ払って行け、と抱腹絶倒だ。庶民必読の良書としてトップに挙げたい。

呼出状に関して補足。庶民が裁判員になる迄には、何段階かの選定が行われる。先ず市町村の選挙管理委員会が、衆議院議員を選べる有権者の中から、裁判員候補予定者を選ぶ。次にこれに基づき、裁判所が裁判員候補者を選ぶ。今日発送された通知書はこの段階での庶民へのお知らせである。そして実際に裁判員裁判の対象たる事件が起こった場合、裁判所は候補者から実際に選定作業に載せる者を選ぶ。この段階で来るのが前述の呼出状と質問状だ。後は面接に臨み、裁判長他選定に関わる人々の心象を如何に悪くするか、腕の見せ所だ。

以下は裁判員制度に反対する個人のブログ(www.interq.or.jp/enka/svkoya/blog/enka/)に今年1月、送ったコメントだ。あっさり、既に指摘していた点ですね、と切り返されてしまった。
 
私は、裁判員制度には庶民の立場から反対です。過大な守秘義務や心の傷等、否応も無く徴用される庶民の苦労は、[1]がかなりの程度代弁してくれていますが補足したい点もありますので、私の2007年12月現在での意見をここで述べます。

A.機会損失
裁判員法では、労働者を、裁判員に選ばれた事で、クビにしてはいけないとなっています。しかしこれが守られたとしても、仕事上の機会損失に対する補償はありません。裁判員制度·刑事検討会[2]に寄せられた意見の中には、コンサートの予定が詰まった歌手や、患者を放置出来ない田舎の医者等の例が出て来ていますが、こうした状況に配慮する対策は今の所聞こえて来ません。

機会損失の最悪のパターンが、[1]の指摘する零細自営業者の倒産です。

B.不安と悔しさ
裁判員候補になると何時赤紙が来るのか来ないのか、また裁判員になると裁判が長期化するのではないか、ずっと宙ぶらりんの、不安な状況が続きます。

不安は単なる気分に留まらず、前項の機会損失の増大に転化します。即ち裁判員になった場合、何日で終わるか事前の保証がない以上、仕事でも私生活でもきつい計画は立てられません。ですから裁判が意外と速く終わっても、要人とのコンタクトや旅行の様な、事前の計画に基づいて行うべき物事を思い描いていた場合、暇だから前倒しで始めるわけには行きません。好運だった場合でも、何だか用心し過ぎて自ら好機を逃した様な悔しさが残ります。裁判員候補となり、裁判員になる虞を抱えている場合も、これほどひどくはありませんが本質的に同様です。

C.被害者やマスコミだって
裁判員法によると、怪しい団体に属する被告人·関係者によるお礼参りが予想される場合には、裁判員裁判を行わない、となっています。しかし、被告人よりも寧ろ被害者とその関係者がずっとワルっぽい事件もあるでしょうし、また、マスコミが裁判員にしつこく付きまとう可能性も拭えません。あるTV番組[3]では、裁判員が新聞記者と揉み合っている間に転落死しています。こうした場合の根治的な予防策はありません。

D.曖昧な辞退自由
辞退事由と打とうとしたら、辞退自由になってしまいましたが、私は自由に辞退したいので敢えてそのままとします。

裁判員法は辞退事由に「政令で定める」項目を設けています。最近、法務省が政令案[4]を明らかにしており、その中身は
  • 妊娠中または出産から8週以内
  • 別居中の親族、同居人の介護や養育をする必要
  • 親族、同居人らが重い病気、傷害のため入院や治療に付き添う必要
  • 妻や子の出産
  • 生活の場所が裁判所の管轄外で遠い
  • 自分や第三者の身体的、精神的、経済的な重大な不利益
と云う6項目です。最後の精神的な不利益は思想、信条の自由に配慮した玉虫色の表現でしょうが、それだけに現場で選任、不選任の決定を行う裁判長の主観に左右されそうです。

E.明確でも変な基準
その一方、最初の項目で妊婦の辞退が認められたのは、快挙でした。産後の免除期間も8週とあり、主観が介入する虞はありません。しかし、8週前後の赤ちゃんはまだまだ夜中に泣いて授乳を求めますし、首も据わっていません。お母さんも夜中に起きて赤ちゃんのお世話をしないといけませんから昼間は疲れているでしょうし、中には体調が完全に回復しない場合もあります[5]。

8週を超えたら養育を放棄しろ、柔肌のぬくもりなんか忘れろ、とでも云いたいのでしょうか。国を挙げて少子化対策に取り組んでいるこの時期、女性や子供に対するこんな蔑視が残っていた事は見逃せません。

F.妥当な基準でも
裁判員法には、70歳以上の人は、裁判員を辞退出来るとあります。これは前項の8週に比べ、遥かにまともです。個人的には、もう少し下げるべき、と思いますが。

但し、これくらいの年齢の人々の心身の具合は様々です。仮に階段を登るのもひと苦労で、坂道を見るといつもたじろぐ足腰·心肺の弱い69歳が、日常生活を何とかこなしていると云う理由で裁判員に選ばれ、その一方、気力·体力の充溢した70歳がその年齢故に免除を勝ち取ったならば、69歳の怒りや失望は、裁判員制度そのものだけでなく、70歳にも多少、向かうのではないでしょうか。生身の人間にあっては、こうした穏やかでない悪感情は不可避です。責められるべきは、庶民にこうした相互不信を惹起する裁判員制度です。

東商·日商[6]は、50人規模以下の企業の役員·社員の辞退を求めています。こうした基準は広く認められるべきでしょうが、数字をまたがった明暗が付きまとう事も忘れてはなりません。

もう1つ、辞退事由の立証責任は庶民、裁判長、どちらにあるのでしょうか。もし庶民が自身の辞退権を立証せねばならないとすると、裁判員選定の開始時刻によっては前日に役所に書類の申請をせねばならず、余分な1日を費やしてしまいます。逆に裁判長が、辞退の非妥当性を立証せねばならないとすると、そしてその為の調査が許されるとすると、庶民はプライバシーを覗き見される事になります。どっちに転んでも不幸です。

★まとめ
私は裁判員制度に反対であり、その1つの理由はAで指摘した機会損失です。更にまだ本やインターネットでの意見としては挙がって来ない様子ですが、現実の仕事·私生活を進める上ではBの様な機会損失の問題も起こります。

法務省は政令案を出すと共に、庶民の意見も募集していました[4]。現在、集計中でしょうが、例によって多忙さや思想、信条の自由を始めとする様々な辞退事由への要望が集まると思います。

しかし、多様な辞退事由を認めるとしても、Dで述べた様に言葉で定義する限り曖昧さは残ります。Eで述べた様に、所詮、人間のやる事ですから、客観的に判定可能な基準でも変な基準があるかもしれません。一見妥当な基準でもFで述べた様に、運·不運の境界にいる人にとっては釈然としない気持ちが残ります。要するに個別の事情に対する配慮を重ねて行っても、常に不満は発生します。

一方、Cで指摘した様に、裁判員法は裁判員に及ぶであろう危険として怪しい団体に属する被告人とその関係者からの復讐しか想定していませんが、これは明らかに不十分です。

となれば、
  • 裁判員候補は自由に辞退できる
  • 裁判長は裁判員に及ぶより広汎な危険を想定し裁判官のみの裁判を選べる
とすべきです。ここ迄来たら、もう、裁判員制度はやめるのが簡単明快ではありせんか。

[1]「裁判員制度の正体」(西野喜一)
[2]www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/kentoukai/saibanin/siryou/1118kekka.html
[3]t-m-lawyer.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_625e.html
[4]search.e-gov.go.jp/servlet/Public?ANKEN_TYPE=2&CLASSNAME=Pcm1060&BID=300090008&OBJCD=&GROUP=
[5]plaza.rakuten.co.jp/string3/diary/200710280000/
[6]www.tokyo-cci.or.jp/kaito/teigen/2006/181226.html
 
 
私のしごと館(続き) 2008年11月24日(月)
Infoseek
今日は雨時々曇。これまで私のしごと館に関し、批判的な意見を述べて来たが、廃止とは具体的に何だろうか。もし更地に戻すとしても、22日に挙げた資料にあった様に膨大な費用が掛かる上、売値も京都府の工場·研究所用地の価格に準じれば50〜58億円、厚生労働省のpdf資料(www.mhlw.go.jp/shingi/2008/03/dl/s0306-5c.pdf)
の帳簿価格に従えば18億円で、建設費580億円を取り返すには至らない。

となれば現状の建物を活かしたまま、現状の疑似体験等のサービスを停止し、けいはんな精華·西木津地区に於いて許される活動を行う企業や研究機関、大学等に賃貸するのが現実的かもしれない。但し、(株)けいはんなの現実を考えれば、賃貸を選んでも茨の道が続くだろうから、これ以上雇用保険に穴を開けない、投資用語に於ける所謂"損切り"の為には、やはり完全に手放すのが賢明かもしれない。

だが引っ掛かるのは、22日に述べた様に、厚生労働省が私のしごと館を廃止する代償として、類似の施設を各地に展開する可能性をも示唆している点。無駄の上塗りだ。これに対抗する為には、職業キャリア教育の縮小を許す様な政策上のバックアップも必須だ。
 
 
私のしごと館(続き) 2008年11月22日(土)
Infoseek
今日は晴。"私のしごと館のあり方検討会"に関して厚生労働省がまとめたpdf資料(www.mhlw.go.jp/shingi/2008/06/dl/s0601-1a.pdf)は、段々腹の立って来る資料の典型だ。それは、何としてでも"職業キャリア教育"を推進したいと云う執念が感じられる為。"私のしごと館のあり方検討会"は2008年の3月6日·3月27日·4月9日に開催されている為、6月頃に出来たと思われるこのpdf資料は検討会の結果のまとめと解釈出来る。
 
先ずここ。「職業キャリア教育の必要性·重要性に異論はない」とある。これが厚生労働省、"私のしごと館のあり方検討会"の委員、何れの意見を色濃く反映しているか不明だが、"異論はない"と云う表現は消極的肯定に過ぎない。だがpdf資料のトーンは一貫して職業キャリア教育の実施。飛躍がある。続けよう。
 
ここには、「職業キャリア教育を推進」とある。しつこい。異論は無いから推進する、とは能天気な話だ。もし職業キャリア教育を行うとなると、その目指す目標が本当に望ましい物か否かを考え抜き、且つ、望ましいとしても実行可能な具体的内容との間に整合性がある事を証明せねばならず、当然、必要·重要であっても何もしない、と云う選択もあり得る。欠落しているのはまさにこの部分。もっと露骨に云えば、敢えて意義や実現性を考えず、ちょっとした理由だけでやると決め込んでしまう処が、お役所の仕事を増やすいつもの作戦だ。
 
そして問題はこちら。私のしごと館の問題点として広く客を集めるには相応しくない不利な立地条件がある事は確かだ。私のしごと館の場所、けいはんな精華·西木津地区は現在、さすがに開闢当時のままの田舎ではないが、郊外の"台"や"ヶ丘"が付く街の1つ。積極的に他所から人が集まる場所ではない。pdf資料はこれを逆手に取って、現在の私のしごと館を潰すなら、これに代わる施設を各地に作る可能性を示唆している。恫喝だ。
 
こっちもひどい。私のしごと館の民間委託に関する条件を話し合った際の意見のまとめだが、職業に関する疑似体験教育を「興味や関心」「気付きや意識付け」「中核」「利用者数が多い」と自画自賛している。初めから私のしごと館が疑似体験館だった事は事実だが、本当に「中核」「利用者数が多い」と主張出来る為には競合する他のアトラクション、例えば道の向かい側にあるけいはんな記念公園に勝ってそうなった事を証明しなければならない。
 
こっちでは、中学生·高校生の学部·学科選びに資するとあるが、この様な行為は雇用保険法の容認する事業の範疇に属するだろうか。文部科学省の仕事だ。幼保一元化も出来ない癖に、教育者ぶるな。
 

こちらは民間委託に際して収支目標をどう設定すべきかに関する話し合いで出た意見のまとめだが、親の所得に関わらず職業キャリア教育を施す事が理想だと思っている様子だ。馬鹿馬鹿しい。今、主要教科に於いてはゆとり政策の影響で相対的に塾の力が増し、親の所得格差に起因した教育格差がまた所得格差を再生産するのではないか、とする懸念がある。実際昔から、東大出身者の親の年収は高いと云われ続けて来た。こうした現実は、藩閥に囚われず広く、差別を廃し人材を募る手段として学歴を掲げて来た明治維新以降の日本の国是(学歴主義にも問題はあるが)にも反している。だから職業キャリア教育の機会を云々する余裕があるならば、主要教科の対策をもっと優先して考えるべきだ。

それにしてもお役所には全くしおらしさも、国全体の課題を踏まえて物事の軽重を判断する大局観もない。こんな調子だから、私のしごと館は罰として廃止すべきだと思ってしまう。
 
 
私のしごと館(続き) 2008年11月19日(水)
Infoseek
今日は晴で、普段よりも一段と寒くなった。近所の池では水を抜いている。私のしごと館が誕生して間もない頃の批判的意見があった。
 
http://chuohjournal.jp/2003/05/post_1419.html
 
は、2003年5月25日での意見。登録しないと全体は読めないが、雇用·能力開発機構は雇用保険の無駄遣いを繰り返しており、その文脈の中で私のしごと館を建設した事に対して反対していると想像出来る。
 
 
私のしごと館(続き) 2008年11月17日(月)
Infoseek
今日は晴。私のしごと館の仮オープンは2003年3月30日だったが、それ以前から批判的意見が存在していた様子だ。例えば、
 
http://www.zakzak.co.jp/tsui-sat/tsuiseki/contents/2002_10-03/030301_05.html
 
はその内容
  • 3月30日のプレオープンに向け、内装工事が進められている。
  • 「2月3日から始めた見学会に、10日間で小·中·高校関係者を中心に200団体、約800人にお越しいただいた。前向きな返事を頂いた学校もいくつかあります」
から、2月3日の見学会から仮オープン迄の間に書かれていると判断出来る。前後の記事も見ると、当時から既に、雇用·能力開発機構は雇用保険で箱物を作っては投売りする無駄を繰り返していたらしい。
 
 
私のしごと館(続き) 2008年11月13日(木)
Infoseek
今日は晴。私のしごと館を更地にして売れば、どの程度になるだろうか。京都府の工場·研究所用地を宣伝しているホームページ
 
http://www.pref.kyoto.jp/sangyo/1182498263396.html
 
によれば、私のしごと館のある精華台の分譲価格は60500〜70000円/m2。これに土地面積83000m2を乗ずると、50〜58億円。勿論これは言い値だが、参考指標にはなる。
 
 
私のしごと館(続き) 2008年11月9日(日)
Infoseek
今日は予報と異なり雨後曇。私のしごと館の話題を続ける。"私のしごと館のあり方検討会"で擬似体験機能の維持を条件として民間企業に運営を任せる事が決まり、国家レベルのイベント開催に実績のある株式会社コングレが9月1日以降、請け負っている。契約期間は2年で、1年後に見直しの予定。もし5年間運用出来たならば、運営費交付金、露骨に云えば赤字を5億円に減らせる、と(株)コングレの鼻息は荒い。

それでも茨の道が続くだろう。"私のしごと館のあり方検討会"に臨んで厚生労働省がまとめた資料は、私のしごと館の問題点として立地を挙げている。けいはんな精華·西木津地区は田舎、と云うといささか云い過ぎだが、余程近隣の住民でもない限り、積極的に出向く地域でない事は確かだ。特にバス利用と云う点が、広く客を集めるには不利。修学旅行の定番である京都と奈良の中間地点としてここを選んだ、と云う理由も、寄り道で神社·仏閣その他の文化遺産をじっくり見物出来なくなる事を思えば、白々しい。

今後、(株)コングレがどんな技を使うか、筆者は知らない。1つ思い付くのは、擬似体験機能から辛気臭い教育志向を除き、楽しめるアトラクションにしてしまう事だ(具体的に何をやるかは筆者の能力を超えているが)。となると私のしごと館の性格はなお一層、ディズニーランドに近付く。

だがその一方、現実を見ればもっと有利な場所にあった伏見桃山城キャッスルランドが2003年1月31日に閉園、宝塚ファミリーランドが2003年4月7日に大幅縮小、あやめ池遊園地が2004年6月6日に閉園、志摩スペイン村が2006年2月に120億円から9000万円へ減資、奈良ドリームランドが2006年8月31日に閉園。関西圏のテーマパークは続々と試練に直面し、消えつつある。この原因として2001年3月31日、大阪の工業地帯に開園したUSJとの競合が挙げられるが、入場者数が予想を下回っており、USJの経営も意外と芳しくない模様。エンターテイメント志向は捨てたほうがいい。

2番目は擬似体験以外の周辺機能の充実。"私のしごと館のあり方検討会"であの森永卓郎が、企業の教育訓練施設として宿泊部分を造り、教育研修センターみたいなサービスをやってはどうか、と発言している。一見、尤もに聞こえる話だ。

だが実はこれも難しい。けいはんな精華·西木津地区には研究開発型企業への場所の提供(要するに貸ビル)や宿泊、イベント開催等をやって来た半官半民企業·株式会社けいはんながある。(株)けいはんなは1989年8月設立で、1993年4月のけいはんなプラザ竣工と共に移ったが、その後の経営は思わしくなく、昨年11月30日、100億円の負債を抱え大阪地裁に民事再生法の適用を申請。即ち倒産。今年9月19日迄に資本金100億円を1億円に減資する、取引金融機関から80億円の債権放棄を受ける等の再生手続きを終え、26日から正式に再出発したが、要するに出費を減らしただけだ。宿泊可能なイベント会場を主張する森永案は私のしごと館を(株)けいはんな2号にしてしまう、と云う発想だが、(株)けいはんなは映画上映やガス会社·住宅メーカーの展覧会等、地元住民向けのイベントもやっている。私のしごと館も労働行政を捨てて、砕けた存在になれるだろうか。なれたとしても、共倒れを引き起こす可能性が高い。

ところで2番目の発想を突き詰めると、擬似体験以外の周辺機能は何でも許される事になってしまう。となると安易に考えればショッピングセンターだろう。これは数年前迄ならば成り立つ話だった。

だが、けいはんなプラザの傍にユータウンけいはんな(核テナントはユーストア)やコーナン、私のしごと館の向かい側にも酒の量販店や小さいショッピングセンターがあり、けいはんな精華·西木津地区の住民は地区内だけで大抵の生活用品を揃えられるのが今の状況だ。その上、2006年3月27日に近鉄けいはんな線が開通し、終点·学研奈良登美ヶ丘がけいはんな精華·西木津地区の新しい玄関口となった。イオン奈良登美ヶ丘ショッピングセンター他の商業施設がひしめき合っている。となると古い玄関口だった祝園駅周辺も黙ってはおらず、せいかガーデンシティが昨年5月16日から18日に掛けてオープンした。競争は激化している。

結局、"維持"の発想を抱いたままでは、私のしごと館の本質的な収支改善(魅力の向上)は難しい。
 
 
私のしごと館 2008年11月8日(土)
Infoseek
今日は雨後曇。ちょっと気分を変えて、私のしごと館と云う巨大箱物施設に触れよう。
 

私のしごと館ホームページ
http://www.shigotokan.jp/
 
私のしごと館とは、厚生労働省の外郭団体である独立行政法人雇用·能力開発機構が運営する施設。その目玉は小学生から高校生程度の若者を想定した、仕事の擬似体験教育。2003年3月30日仮オープン、同年10月4日本格オープン。場所はけいはんな精華·西木津地区、研究機関と住宅が立ち並ぶ新興都市とされるが、"ヶ丘"や"台"の付く街の典型と思えば当たっている。

この私のしごと館、昨年12月頃から盛んに廃止論が政府·マスコミの間で飛び交い始めた。実は筆者は11月2日に触れたA氏に嫌われ、一時期、けいはんな精華·西木津地区のサテライトオフィス(流刑地)に通勤しており、バスの窓から巨大な総合病院か何かが建設されつつある様子を眺めていた。この"総合病院"こそ私のしごと館であり、その威容は延床面積にして3万5000m2と凄まじい。建設費も巨額で580億円に達している。また官業の常として経営も思わしくなく、毎年10〜20億円もの赤字が発生している。だから一躍、無駄遣いの象徴に出世した。

個人のブログ等では私のしごと館に対する批判的な意見が多いから、敢えて擁護する立場
 
http://www.mhlw.go.jp/shingi/other.html#shigotokan
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/139/
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/156/
http://diary.jp.aol.com/4kvbum2pdv/
http://pu-u-san.at.webry.info/theme/b93cefba72.html
 
を挙げよう。最初は厚生労働省主催の"私のしごと館のあり方検討会"の資料、2番目と3番目は"私のしごと館のあり方検討会"に加わっていた評論家森永卓郎が日経bpに寄稿したオピニオン、4番目は純然たる個人のブログだ。その共通項を指摘するならば、若者にものづくりを伝える機関は他に無いし、学校や美術館、博物館が儲けていない事を理由として叩かれる事も無いのだから、私のしごと館を存続させるべきだ、となる。最後も個人のブログだが、私のしごと館に関する動向を淡々と報告している。

筆者の意見は廃止。それは、私のしごと館が雇用保険料で運営されている為。雇用保険とは万一の場合に備えるセーフティーネットだから、そこで集めた金は滅多な事では支出すべきでない。雇用保険法は雇用安定事業·能力開発事業を容認しており、私のしごと館の運営は後者の一環と見做されている様子だが、必ずしも事業者、労働者、求職者等に該当しない児童·生徒に向け、技能に直結しない擬似体験教育を施す事が、雇用保険法から逸脱していないか、疑念が涌く。

では私のしごと館を文部科学省に移管してはどうだろうか。"私のしごと館のあり方検討会"の議事録にも、森永卓郎の日経bp記事に対する読者のコメントにも、そうした発想は散見される。だがそうすると、擬似体験教育が教育らしい教育であってエンターテイメントではないとする証明が、なお一層必要だ。仕事の擬似体験を売り物にする民営テーマパークとしてキッザニアが東京にあり、近々関西圏にも誕生するが、キッザニアは決して学校の類ではなく、ディズニーランドの仲間。ディズニーランドを官が運営する事に、賛成する人はどれ程いるだろうか。けいはんな精華·西木津地区のもう1つの巨大箱物·国立国会図書館関西館(2002年10月オープン、延床面積5万9500m2、建設費は土地抜きで425億円)が批判の俎上に登らない事とも、比べてみよう。
 
 
PCM(自分を知る「6つのキャラ」)続き 2008年11月5日(水)
Infoseek
今日は晴。A氏は、対人関係では麗華·麗司タイプに近い。そのマイナス面
  • 相手が必要としているときに、相手に助力を与えず、突き放してしまいます。部下に「レポート作成のことで教えていただきたいことがあるんですが」と聞かれても「それはあなたの仕事でしょ」「私は忙しいのよ」と突き放してしまいます。
  • ルールを破り、"自分は特別"という態度をとります。
  • 友人に「あなたの彼、最近、新人の女の子を飲みに誘っているのよ。怪しいから気をつけたほうがいいわ」などといって、わざとふたりの仲が険悪になるのを見て喜んだりします。
は、そっくりそのままA氏のマイナス面でもある。もう1点、麗華·麗司タイプの見逃せない特徴は、
  • 命令、指示調の話し方が多いのですが、愛嬌があり、人をひきつける魅力ああるため嫌われません。
  • いつの間にかペースに乗せられたと感じるような交渉術の巧みさがあるのですが、なんとなく憎めないところが、麗華さんにはあります。
とされている傾向だ。「6つのキャラ」が想定している女性読者に反感を惹起しない為、敢えてソフトな面も加えた、とばかり筆者は思い込んでいた。だがA氏も、上司の上司や初対面の人に対しては、この様な特徴を発揮している。今日はここ迄。
 
 
PCM(自分を知る「6つのキャラ」)続き 2008年11月2日(日)
Infoseek
今日は晴。ここで、何度か登場したいびり屋上司について触れよう。仮にA氏とする。A氏も筆者と同じ、メーカーの研究員だった。

A氏が業務上、発揮した不快な点、身勝手さを思わせる点は、
  • 雑談としか受け取れない話をし乍ら、後になってあれは仕事の指示だ、何故やらないのかと叱る。
  • 曖昧な指示を下し乍ら、後になって細かい基準を示し、達していないと叱る。
  • 情報を隠蔽して仕事を停滞させ乍ら、遅いと叱る。
  • 誰がどう見ても失敗する様な、無理難題を押し付ける。
  • 幹部に取り入る為に、学術·ビジネスの観点では無駄な仕事を創る。
  • 仕事の事後処理の段階になると、俺に雑用を押し付けるな、と怒って逃げる。
  • 個人的に知っていると云う理由だけで、能力の不明な提携先を押し付け、断ると怒る。
  • チヤホヤとした褒め言葉抜きで事実を淡々と報告すると、俺を馬鹿にするのか、と怒る。
  • 部下が互いに不信感を抱く様に陰口を叩く。
  • 大人数が集まる会議では、後で聞くと嘘とバレる発言をする。大人数を集めた決定を後で修正するのは難しい事を知っての上。
  • 冗費節減の指令が出ているのに、歩いて10分の移動の際にも、タクシーに乗る。
  • 補助スタッフの採用を凍結しているのに、人材派遣と云う抜け道を辿って雇い、自分で出来る庶務をさせる。
等だった。上司役を長年やっていて、魂が劣化する人間は多い。だがA氏の特徴は部下のみならず、新入社員時代から直属上司くらい迄の目上にさえも、上述の様なマイナス面を発揮し続けた処にあった。従って若い頃から鼻摘み者呼ばわりされ、徹底していじめ抜かれた。

にも関わらず順調に出世したのは、上司の上司に位置する人間には、こんなやつこそ目を掛けて育てないといけない、と思い込ませる不思議な才能を有していた為だ。実際、A氏は初対面の人間の目には、いわゆる"いい人"として映る。そして小さな研究所を立ち上げ、その所長に就任。筆者が入社し、A氏の許で勤務し始めたのはその数年後だった。その時の筆者の決断には、A氏の表面的な好人物振りに化かされたと云う要素が大きい。

小さな研究所の所長時代のA氏にとって幸いだったのは、A氏の上司が常務クラスの役員だった点。通常、所長の上司は平取だ。だがA氏の専門分野が企業としては少数派の分野だった為、面倒を見られる平取クラスの人間がおらず、研究活動全体を統括する上級の役員が上司となった。上司の上司が直属上司になった、と思えばいい。だからA氏は上司の上司には気に入られると云う前述の特技を発揮し、よりビジネスに密着した、大きな研究所の所長に栄転した。

A氏の転落はここから始まる。他所から飛んで来た新米所長は、生え抜きの部下の前では、立ち振る舞いに配慮しないといけない。だが人間の行動パターンは急には変わらない。A氏は専門外の世界でも自分勝手な意見を押し付け続けた挙句、部下のクーデターに敗れ、名も無い地方大学に亡命。表面上、研究の自由と名誉を貫いた様に見えるが、家族とも離れて1人、何かと貧乏な地方大学の片隅で、取って付けた様な部署の教授の椅子に凭れて、今、昔を偲んでいる。
 
 
PCM(自分を知る「6つのキャラ」)続き 2008年11月1日(土)
Infoseek
今日は晴。ここ迄で、何故筆者が物事を貫く者、と云うと褒め過ぎだから単細胞な頑固者にも、フラフラ、フワフワした自分のない者にも見えるか、ヒントは揃っている。要するに筆者は人生の方法論としての思考·論理を貫徹したいだけで、形や行動、まして価値観等には殆どこだわりを感じない為だ。この点は、静香·静夫タイプの
  • 意識が常に自分の内側に向いていて、心の中で思っていれば満足できるためなのです。
とされている傾向の現われかもしれない。そしてこの様な点に、筆者の中の静香·静夫が上司として方針を決め、真理·真がその能力を部分的に発揮すると云う形で従っている(全面的な権限委譲はなされていない)様子が見えるのである。

その一方、真理·真タイプは倫子·倫郎タイプよりも濃い側に位置する、として来たが、この点についてダメ押しをしよう。真理·真タイプはストレス下では、
  • 真理さんがストレスの玄関口にいるときは、······やたらと条件づけをします。
  • また、「各駅停車で3つ目の△△駅で降りると出口が3つあるんですが、南口から出て徒歩約10分、早足で8分、ゆっくりだと12、3分かかって、もし別の出口を出てしまうと······」と、必要以上の情報を与えて過剰に説明したりします。
となる様だが、筆者の思考パターンはストレスがなくともこの調子である。勿論、これが長々とした自己表現として現れる場合もある。筆者は9月17日(水)に、上司にいびられたと書いたが、その理由の1つがまさにこれ。「6つのキャラ」には手短な結論を求める麗司(上司)と長口上で理屈っぽい真理(部下)の対決シーンがあるが、いびられた昔を思い出してしまった。

倫子·倫郎タイプと麗華·麗司タイプ、具体的には共に保険営業員である倫朗と麗華の対決シーンもある。そこでは、
  • 倫郎さんが「ストレスの玄関口」に落ちると、自分の勝手なものさしに照らして、人に否定的な評価を下すようになります。
  • 「しっかし派手だね。モデル様だな! 保険より顔を売ってんのか?」と外見を批評し、皮肉をいいます。
となっているが、これは筆者には滅多に起きない状態である。しかしそれでも筆者は倫子·倫郎タイプに関して長々と書いて来た。凡そ具体的に書けない恵·恵一タイプ、明美·明タイプ、麗華·麗司タイプとは違って、筆者にとってはまだ与党の位置にある。

因みにいびり屋上司、麗華·麗司タイプに最も近い。