綾紫の日記
2009年1月1日〜10日

 
裁判員制度に反対(続き)
2009年1月10日(土)
Infoseek
今日は曇後晴。
 
 


読売新聞(www.yomiuri.co.jp/national/news/20090109-OYT1T00088.htm?from=navr)

読売のアンケートだが、裁判員制度に対する賛否の相場が見えて来た。
  • ······「ぜひ参加したい」は全体のほぼ3割にあたる4361人、「参加したくないが、義務だから仕方なく参加する」が約4割の5266人。「参加したくない」は3割弱の3462人だった。
とあるから、ずるい裁判員制度推進派は7割の賛成を得た、と豪語するだろうが、参加したくない人こそ多数を占める約7割。それから
  • 一方、裁判員候補者の通知が届いたという人の中で、辞退を希望せず、回答票を返送していないと答えた人は90人。この人たちに裁判へ参加することに不安があるかどうかを聞いたところ、「不安がある」(66人)が「特に不安はない」(21人)を大幅に上回った。
とあり、裁判員に選ばれる事を覚悟している人、已むを得ずそうした人の中でも、不安を感じる人がこれまた約7割。結局、裁判員制度は庶民の支持を得ていない。そうした中で、
  • 法律の知識がないことや死刑判決を選択するかもしれないことへの不安が根強く、法曹三者は制度について国民に丁寧な説明を重ねる必要がありそうだ。
とは、何と能天気な意見だろうか。庶民の裁判員制度への反感は丁寧な説明で解消されるであろう無知や誤解ではなく、義務として押し付けられる事に起因しているのだが。
 
 
裁判員制度に反対(続き)
2009年1月9日(金)
Infoseek
今日は雨時々曇。朝日から2件、取り上げる。
 
 


朝日新聞(www.asahi.com/kansai/news/OSK200901070106.html)

先ず、法曹の卵である司法修習生の53%が裁判員制度に反対、44%が賛成となっていて、反対が回答者の過半数。朝日新聞は
  • 国民に負担が大きいことなどから、法律家の卵も新制度に不安を抱いているようだ。
の様に「不安」と云う言葉を使っているが、反対意見は「不安」等の気分に起因しているふわふわした迷いではない。反対には根拠がある。即ち、
  • 「法律家にも国民にも負担が大きすぎる」
には法曹界の裁判員制度への対応の大変さや庶民の反感と云う現実が反映されているし、
  • 「不適正な事実認定や誤判のおそれがある」
  • 「拙速な判断になり、被告の権利が守られない恐れがある」
に対しても、裁判員制度を見越した拙速裁判が仙台·広島では高裁により覆されていると云う前例を挙げられる。一方で賛成理由
  • 「国民の意見を反映できる」
  • 「国民が裁判に関心を持てるようになる」
は今の処、根拠に乏しい。となると反対派、賛成派、どちらが健全な判断力を有しているか、明らかだ。
 
 


朝日新聞(www.asahi.com/national/update/0108/TKY200901080258.html)

続いて裁判員候補者に対する調査では、
  • 「行くと思う」と答えた人が57%で、「行かないと思う」人は36%だった。
  • 年齢による辞退が認められない20歳以上70歳未満でみると、「行く」66%、「行かない」29%だった。
  • 20〜40代では「行く」が70%前後に達する。
となっており、意外と裁判所からの呼び出しに応召する庶民が多い。ずるい裁判員制度推進派はこれで「7割の支持を得た」と豪語するだろう。しかし、
  • 「ぜひ参加したい」5%、「できれば参加したい」が17%にとどまったのに対し、「できれば参加したくない」は50%にのぼり、「絶対参加したくない」も26%いた。
  • 裁判員制度の賛否では、反対が52%で賛成の34%を上回っている。
とあり、回避派、反対派がいつも通り多数派だ。但しその数値には矛盾があり、回避派の中にも明確に反対していない人がいる計算になる。単に「分からない」のか、所謂総論賛成·各論反対か、エリートである法曹への反感から一矢報いたい気分を残しているのか。
  • 制度導入で刑事裁判への信頼が「高まる」とした人は29%で、「低くなる」の10%より多い。「変わらない」は52%だった。
と云う結果も裁判員制度への期待感を滲ませており意外だが、ひょっとしたら「変わらない」には「低くなる」以上に関与したくない気持ちが反映されているのかもしれない。概ね、朝日新聞が報ずる庶民の平均的意見は、自分が参加する事は特に御免で、裁判員制度には冷めていて反対、だ。
 
 
裁判員制度に反対(続き)
2009年1月7日(水)
Infoseek
今日は曇。また裁判員制度に関連した事件だ。
 
 


スポニチ(www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20090106125.html)

一番早かったスポニチを採り上げるが、
  • 今年5月に実施される裁判員制度について、「取りやめなければ危害を加える」などと、法務・検察当局や裁判所、弁護士会の法曹三者を脅迫するような内容の封書が秋田県内で見つかったことが6日、分かった。
とある。脅迫は犯罪だ。しかし昨年12月27日に「裁判所からの呼び出しを断る手続きを代行します」と云う詐欺に関して述べた様に、この種の犯罪は一方的な悪なのか。筆者は犯罪を擁護しようとは考えていないが、誘発した側にも責任はないのか。そして今後、様々な騙しや脅し、誘惑が横行するのではないか。例えば小さい子を持つ親が裁判員になった場合、悪質なマスコミ記者が子にチョコレートを与えて親の住所氏名を聞き出し、平気で公表すると云った事態は生じないのか。斯様な状況から特に荒事に慣れていない素人裁判員を守れるのか。凡そ物事には、多少なりとも可能性があれば推し進めるべき分野も、慎重を期して確実性が保証されない限りやめるべき分野もあるが、施策立案層は意図的にこの2つを混同しているのではないか。等と筆者はマイナス面を考えてしまう。
 
 
裁判員制度に反対(続き)
2009年1月5日(月)
Infoseek
今日は晴。仕事始めに相応しく、早速朝、JRが事故で遅れ。
 
 


北海道のニュースサイト BNN(www.bnn-s.com/enq/enqVote.php)

先ず北海道のニュースサイト BNNは裁判員に公正な判断が期待出来るか否かのアンケートを実施中。今の処、「裁判員の"市民感覚"で量刑判断は無理」が41.1%、「公正さを欠くことも考えられる」が37.9%、「公正な判断を期待できる」が20.7%である。裁判員を辞退したい、裁判員制度に反対等の意見がネット上では6〜8割になる場合が多いが、このアンケートでも似た様な数値的結果が得られている。筆者も、公平性は期待出来ず、特に量刑の判断は無理だと思う。
 
 


MSN産経(sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090105/trl0901050231001-n1.htm)
 

NHK(www3.nhk.or.jp/news/t10013354831000.html)

続いてMSN産経やNHKは裁判員制度に関する政党の動きを報じている。前者は、
  • ······同制度に不安を抱く人が多いことも理解できる。法律に全く門外漢の人が、裁判に加わって正当な判断を下せるのか、疑問視するのも当然だろう。
の様に、庶民が裁判員制度に反対意見を有している事を素直に認めている。だから、
  • こんな空気を察知してか昨年12月、社民党と国民新党が「制度には反対しないが、国民の不安は解消されていない」などを理由に実施延期を求めることで合意した。共産党も延期の方針をすでに明らかにしている。
と云う社民党と国民新党の行動は当たり前。NKHも
  • 裁判員制度をめぐっては、共産党も導入を延期すべきだとしているほか、民主党内にもこれに同調する意見があります。
と、共産党·民主党の動きに触れている。それにしても「制度には反対しないが、国民の不安は解消されていない」とは何とも奥歯に挟まった口振りだが、過去、賛成した前科があるから、反対とは云い辛いのだろう。苦境に立たされている自民党も、裁判員法が出来た頃、総務会で思想信条の自由に基づく辞退をしつこく求めた過去を思い出し、裁判員制度へ疑念をぶつけるべきだ。
 
だがMSN産経の論調はひどい。
  • 国会が全会一致で決めておきながら、直前になって、異議をはさむのはいかがなものか。これでは、国民の不安を増幅させるだけだ。
とあるが、裁判員法が成立した2004年からもう5年近くが経過し、時代は小泉改革の熱狂よりもそのマイナス面の修復に向かっている。その中、庶民の反感が強い裁判員制度に異を唱えるな、とは、みみっちい節操に拘って民意を蔑ろにしろ、とでも云いたいのだろうか。
  • あと5カ月の間に、制度の不備なところを是正することに全力を挙げるのが先決だろう。また、実施後もそのつど、問題点を改善していくのが政党の責務ではないか。
制度の不備を是正、とあるが、究極の是正は廃止、次善策は延期だ。
  • 実施前からこのような消極姿勢では、大改革など実現できない。
これは目的と手段を取り違えた発想。改革は何か問題点があるからやるのであって、それ自身は目的たり得ない。その上、裁判員制度は高邁な理想を反映した改革でも何でもない。その背後の本音は企業が司法を利用し易くする為の弁護士の増員にあり、裁判員制度は日弁連にしゃぶらせる飴。これは元日に挙げた様に、推進派も認める処。飴の製造に庶民を動員するな、と云いたい。
 
 
市民の定義
2009年1月2日(金)
Infoseek
今日は曇で、昨日程ではないが、時々晴れたり雨が降ったりの不安定で寒い1日。
 
さて裁判員制度推進派、特に在野精神を有する裁判員制度推進派はしばしば「市民」と云う表現を多用する。そこで市民の意味をWikipediaで調べると(ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E6%B0%91)、そのニュアンスとして
  • 自立性
    市民は、匿名的な大衆の一部としてではなく、個々人として自主独立の気概を持ちつつ、自律的に活動する。
  • 公共性
    市民は、自らが市民社会における主権者であることを自覚して、社会的な権利と義務を遂行するとともに、一般意思の実現のために行動する。
  • 能動性
    市民は、受動的ではなく能動的に、自ら積極的に社会へと働きかけ、状況参加する存在である。
の3項目が挙げられている。この「市民」の記述からは、PCM(自分を知る「6つのキャラ」)に於ける義務感の強い倫子·倫郎タイプ(パシスター)や行動的な麗華·麗司タイプ(プロモーター)が浮かんで来る。而るに筆者は奈良市民だが、上述のニュアンスに基づけば市民ではない。即ち、
  • 自寝性
    綾紫は、匿名的な大衆の一部である事を幸い、何の活動もしない。
  • 非公共性
    綾紫は、市民社会における主権者かどうかには無関心で、社会的な権利を放棄し、義務からは逃げ、個人的意思の実現のために行動する。
  • 無動性
    綾紫は、社会への働きかけをせず、状況参加を避ける存在である。
と云う記述は筆者にピッタリだ。筆者の裁判員制度に反対する態度も、単に嫌だ、やりたくない、知らん、と駄々を捏ねているに過ぎず、そこからは何の理想もない。云い換えると筆者は、志願を前提とする裁判員制度を何もない処から構築するならば、(賛成もしないが)反対はしない。少なくとも今の強制徴用式の裁判員制度を改善する1つの方向だとは思っている。だがネット上ではもしそうすると偏った人々が集まるとの主張が根強い。ここで大事な点を指摘したいが、そうしたネット人は、思想の傾きでは「市民」を多用する人々とは逆であるにも関わらず、自身の利害と直接関係なさそうな事にカッカとしている点では、上述の「市民」のニュアンスを不十分ながらも満たしている。而るに筆者は、それならば、やりたい人が挑戦する本職の法曹は、いやそれどころか、基本的に希望者が門を叩く事を前提とする凡そ全ての民·政·官の世界は偏向集団か、と云いたくなるにしても、「偏った」意見は望ましくない、いや本道だ、と云う様な価値感に基づく話には馴染めない。通常、価値観となるべき語を敢えて価値感と書いたのも、市民を市民たらしめる核心部分に対して冷ややかな筆者の感じ方が現れている。今日はここ迄。
 
 
裁判員制度に反対(続き)
2009年1月1日(木)
Infoseek
今日は曇で、時々晴れたり雨が降ったりの不安定で寒い1日。今年は裁判員制度が施行される年であり、日記に於いて反対意見を述べる事で始まった。
 
 


中国新聞(www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200812300284.html)

先ず中国新聞は山口地裁の改装に関して、
  • 外光を取り入れた明るい雰囲気の法廷に仕上げ「開かれた司法」へハード面の準備が整った。新法廷は3階で、約130平方メートル。裁判官3人と裁判員6人が1列に並ぶ席は、緩い弧を描き全体が見渡しやすい配置に。証拠資料を映し出す大型ディスプレーが2台。裁判員や弁護人、証言台でも見られるよう、それぞれの席に小型モニターを置いた。
と報じている。建設費は2億7500万円。この種の改装は全国的に行われている筈なので、100億を超える公金が出たと想像出来る。この他、最高裁からの宣伝費も出ている。となると裁判員制度は結局、財政出動を渇望する(一部の)民、民に恩を売って票を買いたい政、何か仕事らしい事をやった前例を増やしたい官、この3者の為の制度であり、それ自身のメリット故にやっている制度ではない、と思えてしまう。
 
 


MSN産経1(sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090101/trl0901011312000-n1.htm)
 

MSN産経2(sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090101/trl0901011312000-n2.htm)
 

MSN産経3(sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090101/trl0901011312000-n3.htm)

続いてMSN産経は裁判員制度誕生の経緯に関し、「裁判員」という言葉の生みの親でもある松尾浩也東大名誉教授の言葉を引用しつつ、触れている。
  • 松尾さんが話すように、司法制度改革の発端は経済界の要請によるものだった。規制緩和や国際競争激化を背景に、経済団体が平成6年ごろから法曹人口(弁護士が8割)の増加や民事訴訟の迅速化など利用しやすい司法制度を要求。こうした声にこたえ、自民党「司法制度特別調査会」が10年、政府に「司法制度改革審議会」設置を求めた。
そうだったのか、日本で国政を動かす団体となれば、財界はその典型だ。だが弁護士の増員はともかく、裁判員制度は何処にも出て来ない。続きを読んでみよう。
  • 一方、日本弁護士連合会は平成2年以降、「司法改革に関する宣言」などで、国民の司法参加の観点から「陪審や参審制度の導入検討」を提案していた。自民党も法曹人口の大幅増員となれば弁護士会の協力は欠かせず、“バーター”の意味からも陪審・参審制度を審議会の検討課題に入れた−との見方もある。
ここで裁判員制度導入の本音が出た様子だ。弁護士の増員は、既に弁護士になった人々にとっては、競争の激化である。だから日弁連を納得させる為に、その主張であった庶民を司法に動員したい願望を、政府は呑んだ。やれやれ、困った事だ。それともう1つ、強制徴用になる可能性のある(現実にそうなっている)司法参加を提案したのが、どちらかと云えば在野精神に傾く日弁連だったとは何事だろうか。これでは、徴兵制を採用すれば、筆者の様な軟弱な庶民が大量に軍隊に流入する結果、呑み食いに明け暮れて規律と戦闘能力を失い、平和が訪れる、と主張するのに似ている。
  • 松尾さんは期待を込めて話す。「国民がまだ消極的なのは意外ですが、始まれば順調に進むと思います。(参加は)義務と同時に非常に大きな権利を獲得したことになるのですから。ただ、従来の裁判官の判断と大きく変わる必要はない。10件に1件でも裁判員の新しい着眼で裁判官が納得することがあれば、それで十分です」
如何にも裁判員制度を考え出した側らしい発言である。余程、自己防衛しているのか、本当に世間知らずなのか。第1に「国民がまだ消極的なのは意外ですが」とあるが、裁判員制度には不慣れな業務への強制徴用としての側面がある以上、嫌がるのが世間の常だ。なのに意外とは、まさに市民感覚の欠如。第2に「従来の裁判官の判断と大きく変わる必要はない」とあるから、もし本当にそうならば、裁判員制度は結局、従来の本職の裁判官の判決に庶民も参加した逃げ口上を与える物でしかなくなる。第3に「10件に1件でも裁判員の新しい着眼で裁判官が納得することがあれば、それで十分です」とある。ここからは、従来の判決には約10%、誤審·冤罪があったのではないか、と云う疑念が想像出来るが、「新しい着眼」と云う表現からはそこ迄の深刻さは感じない。結局裁判員制度は単なるバーター取引の結果であって、裁判を改善する為の制度ではない、と思えて来る。第4に順序は前後するが「義務と同時に非常に大きな権利」と云う部分の権利が何か、具体的ではない。本気で裁判員制度を権利として運用するならば、所謂当事者(原告·被告)の関係者·支援者を登用するとか、何でも口を突っ込みたい、即ち誰でも死刑とか、検察のやる事は皆横暴だから今度も無罪とか主張したがる無茶な人々を積極的に登用するとか、最近の派遣切りで影響を蒙った人々を優先して登用するとかを考えるべきである。更にそうした配慮に実効性をあらしめる為、志願制を採用するならなお望ましい。逆に筆者の様な見識のない庶民は権利とは感じないから、裁判員になりたいと思う場面がもしあるとすれば、それは職に困った時だけである。
  • 「裁判員制度が機能するかどうかは、裁判官の個性にかなり依存するのではないでしょうか」「裁判官の爆笑お言葉集」などの著書で、さまざまな裁判官に目を向けてきた長嶺超(まさ)輝(き)さんはそう話す。
個性に依存する裁判員制度。筆者には所詮、無理な裁判員制度と読めてしまう。
  • 「市民感覚を取り入れるといっても、裁判員になった人にとって、使命感はなかなかわかない。被告側にしても、いままで裁判官だったからこそ判決に信頼感があったけれど、裁判員の下した裁判結果に納得できないことも考えられる」
「裁判員になった人にとって、使命感はなかなかわかない」と云う部分は卓見。ならば何故、志願制にしないのか。強制徴用された裁判員は所詮、庶民だから、裁判が早く終わる事を望んでいる。だから余り考えず、本職の裁判官や声の大きい他の裁判員に付和雷同し、目は起きていても心は寝ている。これが現実だ。
  • 評議の内容には守秘義務があり、漏らせば6カ月以下の懲役か50万円以下の罰金となる。これについても「評議はブラックボックス。検証することができない」と指摘する。
悪夢の密室裁判の幕開けだ。
  • 「法律の成立から5年の準備期間でできなかったのに、あと5カ月でやるのは無理かもしれないが、裁判員の選任から評議まで、きめ細かく説明を続けてほしい。それでも最初のうちは混乱するでしょう」
はっきり「無理」と分かっているのなら、今の国の推進策は無責任な見切り発車だ。しかも「裁判員の選任から評議まで、きめ細かく説明を続けてほしい」とあるが、裁判員制度に関する知識の普及で「無理」を払拭出来るとは、筆者には思えない。もしこのまま進むのなら、選任手続きの現場で、辞退したい願望を柔軟に考慮する、事実上の志願制への接近だけが、混乱を鎮める方策だろう。