続いてMSN産経は裁判員制度誕生の経緯に関し、「裁判員」という言葉の生みの親でもある松尾浩也東大名誉教授の言葉を引用しつつ、触れている。
- 松尾さんが話すように、司法制度改革の発端は経済界の要請によるものだった。規制緩和や国際競争激化を背景に、経済団体が平成6年ごろから法曹人口(弁護士が8割)の増加や民事訴訟の迅速化など利用しやすい司法制度を要求。こうした声にこたえ、自民党「司法制度特別調査会」が10年、政府に「司法制度改革審議会」設置を求めた。
そうだったのか、日本で国政を動かす団体となれば、財界はその典型だ。だが弁護士の増員はともかく、裁判員制度は何処にも出て来ない。続きを読んでみよう。
- 一方、日本弁護士連合会は平成2年以降、「司法改革に関する宣言」などで、国民の司法参加の観点から「陪審や参審制度の導入検討」を提案していた。自民党も法曹人口の大幅増員となれば弁護士会の協力は欠かせず、“バーター”の意味からも陪審・参審制度を審議会の検討課題に入れた−との見方もある。
ここで裁判員制度導入の本音が出た様子だ。弁護士の増員は、既に弁護士になった人々にとっては、競争の激化である。だから日弁連を納得させる為に、その主張であった庶民を司法に動員したい願望を、政府は呑んだ。やれやれ、困った事だ。それともう1つ、強制徴用になる可能性のある(現実にそうなっている)司法参加を提案したのが、どちらかと云えば在野精神に傾く日弁連だったとは何事だろうか。これでは、徴兵制を採用すれば、筆者の様な軟弱な庶民が大量に軍隊に流入する結果、呑み食いに明け暮れて規律と戦闘能力を失い、平和が訪れる、と主張するのに似ている。
- 松尾さんは期待を込めて話す。「国民がまだ消極的なのは意外ですが、始まれば順調に進むと思います。(参加は)義務と同時に非常に大きな権利を獲得したことになるのですから。ただ、従来の裁判官の判断と大きく変わる必要はない。10件に1件でも裁判員の新しい着眼で裁判官が納得することがあれば、それで十分です」
如何にも裁判員制度を考え出した側らしい発言である。余程、自己防衛しているのか、本当に世間知らずなのか。第1に「国民がまだ消極的なのは意外ですが」とあるが、裁判員制度には不慣れな業務への強制徴用としての側面がある以上、嫌がるのが世間の常だ。なのに意外とは、まさに市民感覚の欠如。第2に「従来の裁判官の判断と大きく変わる必要はない」とあるから、もし本当にそうならば、裁判員制度は結局、従来の本職の裁判官の判決に庶民も参加した逃げ口上を与える物でしかなくなる。第3に「10件に1件でも裁判員の新しい着眼で裁判官が納得することがあれば、それで十分です」とある。ここからは、従来の判決には約10%、誤審·冤罪があったのではないか、と云う疑念が想像出来るが、「新しい着眼」と云う表現からはそこ迄の深刻さは感じない。結局裁判員制度は単なるバーター取引の結果であって、裁判を改善する為の制度ではない、と思えて来る。第4に順序は前後するが「義務と同時に非常に大きな権利」と云う部分の権利が何か、具体的ではない。本気で裁判員制度を権利として運用するならば、所謂当事者(原告·被告)の関係者·支援者を登用するとか、何でも口を突っ込みたい、即ち誰でも死刑とか、検察のやる事は皆横暴だから今度も無罪とか主張したがる無茶な人々を積極的に登用するとか、最近の派遣切りで影響を蒙った人々を優先して登用するとかを考えるべきである。更にそうした配慮に実効性をあらしめる為、志願制を採用するならなお望ましい。逆に筆者の様な見識のない庶民は権利とは感じないから、裁判員になりたいと思う場面がもしあるとすれば、それは職に困った時だけである。
- 「裁判員制度が機能するかどうかは、裁判官の個性にかなり依存するのではないでしょうか」「裁判官の爆笑お言葉集」などの著書で、さまざまな裁判官に目を向けてきた長嶺超(まさ)輝(き)さんはそう話す。
個性に依存する裁判員制度。筆者には所詮、無理な裁判員制度と読めてしまう。
- 「市民感覚を取り入れるといっても、裁判員になった人にとって、使命感はなかなかわかない。被告側にしても、いままで裁判官だったからこそ判決に信頼感があったけれど、裁判員の下した裁判結果に納得できないことも考えられる」
「裁判員になった人にとって、使命感はなかなかわかない」と云う部分は卓見。ならば何故、志願制にしないのか。強制徴用された裁判員は所詮、庶民だから、裁判が早く終わる事を望んでいる。だから余り考えず、本職の裁判官や声の大きい他の裁判員に付和雷同し、目は起きていても心は寝ている。これが現実だ。
- 評議の内容には守秘義務があり、漏らせば6カ月以下の懲役か50万円以下の罰金となる。これについても「評議はブラックボックス。検証することができない」と指摘する。
悪夢の密室裁判の幕開けだ。
- 「法律の成立から5年の準備期間でできなかったのに、あと5カ月でやるのは無理かもしれないが、裁判員の選任から評議まで、きめ細かく説明を続けてほしい。それでも最初のうちは混乱するでしょう」
はっきり「無理」と分かっているのなら、今の国の推進策は無責任な見切り発車だ。しかも「裁判員の選任から評議まで、きめ細かく説明を続けてほしい」とあるが、裁判員制度に関する知識の普及で「無理」を払拭出来るとは、筆者には思えない。もしこのまま進むのなら、選任手続きの現場で、辞退したい願望を柔軟に考慮する、事実上の志願制への接近だけが、混乱を鎮める方策だろう。