綾紫の日記
2009年2月1日〜2月16日

 
私のしごと館(続き)
2009年2月16日(月)
Infoseek
今日は早朝、雨、それから曇後晴。14日に引っ越した為、日記を暫く休止した。
 
 


京都新聞(www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009021200050&genre=K1&area=K1J)

京都新聞は私のしごと館の動向を
  • ファッションモデルの仕事について理解を深めるトークイベントが11日、私のしごと館(京都府精華町·木津川市)で催された。親子連れら約80人が、プロのモデルから、美しいポーズや歩き方のこつなどを学んだ。
と云った具合に報じている。私のしごと館は赤字に対する批判を受けて以降、公設民営の様な形態で運営されている。2011年8月迄に、「国費を出さない」と云う意味で廃止の予定。親子連れを呼び込む様なイベントは、基本的には悪くはない。だがけいはんなプラザとの競合も避けられない。そして件のけいはんなプラザも2007年末頃に民事再生法の申請を行い、現在再出発しているから、私のしごと館の前途も暗い。立地を考えると近隣の住民以外は来ないからだ。
 
 
裁判員制度に反対(続き)
2009年2月10日(火)
Infoseek
今日は曇後雨。
 
 


毎日(mainichi.jp/select/wadai/news/20090207dde041040021000c.html)

毎日を取り上げよう。何の変哲もない模擬裁判の体験記だが、注目すべきは、
  • 裁判官が私たちの目線で説明、配慮をしてくれたので任務を果たせたと思います。
  • 非日常的な任務を担う国民の精神的負担を和らげるための工夫も必要です。
となっている箇所。1月31日にも触れた様に、「任務」は主として軍人に関して使用される言葉だ。非日常性を表現したかっただけかもしれないが、裁判員制と徴兵制の類似性が浮かび上がっている。
 
 
裁判員制度に反対(続き)
2009年2月9日(月)
Infoseek
今日は曇後雨。
 
 


MSN産経1頁目(sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090206/trl0902062345013-n1.htm)


MSN産経2頁目(sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090206/trl0902062345013-n21.htm)

先ずMSN産経の「暴論」から。樋渡利秋検事総長の講演のまとめだが、裁判員制度を推進するに足る意見とは到底、思えない。
  • なぜ裁判員裁判は導入されたのか。いまの司法制度改革は、国民の司法参加という目的から始まったのではなく、後に改革の検討項目として加えられた経過がある。
典型的な悪文だ。「国民の司法参加という目的から始まったのではなく」となるのであれば、その後には「将来の徴兵制への布石として」とか「安逸を貪る法曹人に現場の混乱を通じて鉄槌を下す為」とか、具体的な目的が来るべきだ。だが「後に改革の検討項目として加えられた」とは結局時間的経緯を述べているに過ぎず、真意の分からない表現になっている。
  • 日本はこれまで、あまり法律に関心がなく、法の支配に不感症だった。
これは日本人が他のアジア人や欧米人に比べ、温厚従順な平和主義者だからであり、寧ろ誇るべき点だ。敢えて欠点を挙げるならば、日本人の中から暴走派が生まれた場合、なぁなぁに流れて自ら制止出来ない問題はあるかもしれないが。
  • ベルリンの壁が崩壊した直後の東欧諸国は、先進国が資本主義や自由主義の法整備を支援する草刈り場となった。そのために米国は40億ドル以上、ドイツは50数億ドルを費やしたが、「法を変えた者が仕事を取る」という狙いがある。
日本は崩壊直後の共産主義国ではないのに、何故こんな法整備の話が出るのだろうか。
  • その法の支配を目指して、規制緩和も進められてきた。規制緩和は自由な競争社会をつくることにつながるが、自己抑制のきかない社会にもなる。だからこそ、ルールを守らないといけない。
法の支配と規制緩和、無関係な物事を勝手に結び付けている。敢えて云えば、規制緩和の実効をあらしめる為の法整備は必要かもしれないが、そうすると法の支配→規制緩和ではなく、規制緩和→法の支配となるべきで、逆だ。但し、迷惑なスパイウエアJWordやテレアポの横行を見ると自制なき社会の指摘は当たっている。勿論、裁判員制度も政策決定層が自制を失った証拠の1つだ。
  • 企業でコンプライアンス(法令順守)が厳しく問われ始めたのも、ルールを守ろうという気持ちの表れ。司法制度改革は、まさに国民が司法制度を利用しやすくする改革だ。
企業に於けるコンプライアンスと司法を利用し易くなる制度改革、どう関係しているのかさっぱり不明。但しこれまで(今も)、一部の企業人(公務員も)の間には陰でこそこそと要領良く立ち回るのが大人の常識と思い込んでいる者も存在して来た。コンプライアンス重視の流れは筆者の様なガキ臭さの抜けない者には有り難い。
  • 日本には「裁判沙汰(ざた)」という言葉があるように、裁判を避ける気持ちが強いが、私としては、その気持ちを変えてもらいたい。そのために考えた結論が裁判員裁判だ。
これまでの流れ、即ち「資本主義や自由主義の法整備を支援する草刈り場」「規制緩和」「コンプライアンス」等の表現からすれば、樋渡利秋検事総長の頭にあるのは主として企業活動に関連した法律だったと考えるべきだ。だが何故裁判員制度か。裁判員制度は一定以上の刑事裁判にのみ適用される。民事裁判は適用外だ。
  • AとB、どちらが正しいかを決めるのではなく、検察の立証や主張が、自分の胸にストンと落ちてくれば、その言い分を認めればいい。
  • 国民の常識に基づいて議論して考えた結果が一番正しい。算数のように正しい答えはなく、議論で決めることが結局、よい方に向かう。
暴論はここ。「どちらが正しいかを決めるのではなく」とか「算数のように正しい答えはなく」とか、真相の究明を諦め、最高裁も懸念している拙速裁判を容認した意見としか受け取れない。敢えて暴論を吐く事で、内心の密かな反対を表明しているのだろうか。
 
 


毎日(mainichi.jp/area/kyoto/news/20090208ddlk26040378000c.html)

次に毎日。
  • 京都弁護士会は今年5月に始まる裁判員制度について、「無罪推定の原則が実質化され、適正な刑事裁判が実現されると期待される」と賛成する意見をまとめた。
これまた上の樋渡利秋検事総長の講演に匹敵する、訳の分からぬ話。裁判員制度の実施のより、何故「無罪推定の原則が実質化」されるのか、全く不明。所詮、素人はマスコミに流され易く、推定無罪の原則は崩れると考えるべきだ。
  • さらに、「裁判員の負担ばかりを重視し、必要な審理を尽くさない事態はあってはならない」と、連日開廷で短期間で判決を出す同制度で「拙速裁判」にならないよう提言した。
真に拙速裁判を防ぎたいならば、地裁での裁判は寧ろ拙速に徹し、高裁で審理を尽くすべきだ。素人を巻き込んで何処が楽しいのか。
 
 
私のしごと館(続き)
2009年2月5日(木)
Infoseek
今日は晴。
 
 

上の画像は「私のしごと」館通信。私のしごと館が発行する宣伝パンフレットだ。分割スキャンした為継ぎ目が目立ってしまったが、バレンタインデーが近い事もあってか、チョコレート作り教室が前面に出ている。他にクッキーやオムレツも。ページをめくるとファッションモデルのレッスン教室とか、節分イベントとか、お雛様作りとか、その他多様な体験教室メニューが揃っている。
 
しかし私のしごと館の場所は京都府精華町と木津川市に跨る地域。「台」や「ヶ丘」の付く新興住宅街であり、他所から積極的に人が来る場所ではない。筆者の居場所からは直線距離にして5kmだが、もし行くとなると回り道になる。となると地元民をどれ程呼び込めるかが勝負処だが、イベント開催はけいはんなプラザ(精華町)でも可能な事で、しかもそのけいはんなプラザは民事再生法に基づき再出発中だ。私のしごと館は地域にとっては過分な施設だ。それにそもそも、こうした料理教室、疑似体験教室の維持に雇用保険を使うべき、法的根拠が曖昧。もはや廃止しかない。
 
 
Googleで1位
2009年2月3日(火)
Infoseek
今日は曇後雨。
 
 

「jword 寄生虫」でGoogle1位を獲得。JWordとはActive Xを悪用して勝手にインストールを迫る迷惑ソフトの1つ。ウイルスにも似ているが、趣味よりも商業活動としてやっている様子から、スパイウエアと称される事が多い。
 
 

「私のしごと館 廃止すべき」でもGoogle1位を獲得。私のしごと館は厚生労働省傘下の雇用·能力開発機構が雇用保険で運営する施設の1つで、主として中高生に職業の疑似体験をさせる教育がその目的。昨年12月の厚生労働省の検討会、その後の閣議で廃止が決まっているが、厚生労働省は似た施設の全国展開を企図している模様だ。すぐに職を求めているとは限らない中高生を対象とした行為を雇用保険で賄う事は、法的な逸脱だ、と云うのが筆者の持論だ。
 
 
裁判員制度に反対(続き)
2009年2月1日(日)
Infoseek
今日は曇時々晴。
 
 


読売(www.yomiuri.co.jp/e-japan/kagawa/news/20090131-OYT8T00890.htm)


神奈川新聞(http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryivjan0901762/)

読売(香川県版)は乳幼児を抱える親、神奈川新聞は聴覚障害者の裁判員制度への参加のハードルを下げようとする動きを報じている。しかし、これが倫理的に正しいのか。何とか頑張って支えている生活を突き崩す可能性はないのか、或いは社会参加の促進が現実的な意味での権利たり得るのか。そうした話が全くないのに、ハードルを下げる事だけが望ましい事の様に報じられるのは、社会の木鐸としての機能の放棄だ。