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私のしごと館と梅棹忠夫構想 |
2009年5月12日(火) | |
Infoseek
今日は晴で昨日と同様、暑かったが夕方から曇。「関西文化学術研究都市の明日を考える懇談会」は2004年9月2日から翌3月10日迄5回、開かれたが、その出発点となった資料の1つ(www.mlit.go.jp/crd/daisei/daikan/kondankai/1_siryou6.pdf)
は、論点として
と云った具合で「文化」を前面に押し出しているし、続いて
にある様に、梅棹忠夫構想にあった総合芸術センターにも触れている。しかしながらその後の現状や将来展望を述べている部分
ではコンテンツ産業の強化等に力点が移っている。この論調は昨日紹介した「関西文化学術研究都市の明日を考える懇談会」の報告と全く同じだ。更に理念を議題とした第2回の議事要旨(www.mlit.go.jp/crd/daisei/daikan/kondankai/041005gijiyousi.html)には、
の
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私のしごと館と梅棹忠夫構想 |
2009年5月11日(月) | |
Infoseek
今日は晴で暑かった。1996年の関西文化学術研究都市(けいはんな)セカンドステージプランは、「総合芸術センター」と云う言葉は用いていないが、ともかく梅棹構想をほぼそのまま踏襲している。これに対し、2005年3月の「関西文化学術研究都市の明日を考える懇談会」の提言は、芸術文化に関わる施設の建設に触れていない。文化に言及する箇所を抜き出すならば、
にある現状認識に於いては、コンテンツ産業の発達や地域住民の活動に関する話はある。だが「関西文化学術研究都市の明日を考える懇談会」の提言は、全体として「遅れ」「不足」「不十分」等をキーワードとしつつ、だからもっと開発が必要だ、とする発想を基調としている。にも関わらず、セカンドステージプランで明記されていた総合芸術センターの動きが全く無い事には、一切触れていない。将来展望を述べている部分
も国立国会図書館関西館や私のしごと館を文化の一部として位置づけつつ、梅棹構想への言及を避け、「芸術」という言葉をデジタル産業や地域活動に関してのみ、用いている。セカンドステージプランにあった「新しい芸術文化創造の中枢の形成」は9年の歳月を経て、産業志向が強まる中、関係省庁がノーを突き付けたのか、旗振り役に何かがあったのか、ともかく消えた事は確かだ。
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私のしごと館と梅棹忠夫構想 |
2009年5月6日(水) | |
Infoseek
今日は曇時々雨。関西文化学術研究都市(けいはんな)サードステージプランとその母体であった「関西文化学術研究都市の明日を考える懇談会」の提言、そして1996年にまとまったセカンドステージプランが「文化」の状況をどう見做しているか、詳しく比較しよう。順に
に於いて何度も「文化」と云う言葉を使っている。その中でも「新しい芸術文化創造、文化遺産の保存·活用の中枢の形成」や「文化面、新産業創出面での交流、連携及び研究交流システムの強化」は、何らかの組織や施設を作る意図を感じさせる表現だ。梅棹忠夫は総合芸術センターの博物館の側面を「ジーンバンク」と称していたが、これには「保存」や「創造」が符合する。そして
まぁ、こんな一般論はさて措き、
で「文化の中核施設」や「日本固有の文化と世界の異なる文化の交流」を謳っている。後者は文化財保存関連の活動に近いかもしれない(平城宮跡もけいはんなの一角)が、前者は明らかに施設の建設の意図が窺える。更に、
の「文化施設の整備は十分ではなく」と云う表現も、新たな建設の意図を示唆している。なお勤労体験プラザは私のしごと館の計画段階での仮称だ。そして
は見事に梅棹構想と符合する。即ち「人類の営為としての芸術に関する古今東西の情報を収集し、保存し、公開する機能」は梅棹忠夫が敢えて総合芸術センターの役割の一部を(美術館ではなく)博物館と呼び、実物或いは情報を収集するとした発言や、和漢洋に留まらず東南アジアやアフリカにも手を広げるべきだとした意見をそのまま反映している様だ。「収集された情報に基づき、グローバルな視点から芸術を研究する機能」や「芸術文化の振興と発展に携わる人材(文化行政官)を養成する機能」も梅棹構想そのもの。「展示や公演など芸術をめぐる多様な事業の展開機能」も、梅棹忠夫が総合芸術センターの対象となる芸術に舞台の上で上演するパフォーミングアートを含めていた事と符合する。要するにここで云っている事はほぼ梅棹忠夫の考えそのままだが、「どの機能は重要であるかについて調査を実施するなど」とある事から、総合芸術センター本来の壮大さは若干、後退の模様だ。最後に、
に於ける「芸術新興、文化財の保全·活用及び地域活動······を担う人材」も、上述の文化行政官に対応している。
以上まとめると、1996年の関西文化学術研究都市セカンドステージプランは、「総合芸術センター」と云う言葉は用いていないが、ともかく梅棹構想をほぼそのまま踏襲している。
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私のしごと館と梅棹忠夫構想 |
2009年5月5日(火) | |
Infoseek
今日は曇後雨。時々薄日も差す中、小雨が間断無く降り続けた。梅棹構想で登場する総合芸術センターだが、これは4/26に触れた様に先ず芸術を研究する機関である。梅棹忠夫は芸術を造形芸術(狭義の芸術)、上演芸術、言語芸術、環境芸術(建築等)の4分野に大別した上で、その全てを対象とし、一歩退いた客観的な研究を行うべきだと述べている。総合芸術センターの次の役割は芸術のジーンバンクとしての博物館。美術館、とは云わないが、それは狭義の芸術のみならず全分野を対象とする点、実物のみならず情報も収集する点。情報を収集するとは、電子化して蓄積する作業を意図したのではあろうが、他の識者(国立西洋美術館長·高階秀爾)は芸術作品がどこで損傷し、修理され、どう移動したか、付帯情報を跡付けて整理する機能に触れている。3番目の役割は文化の学校。これは実技の訓練を行う芸術大学ではなく、文化プロデューサー·文化行政官の養成を目的とした学校。
なお「地域と世界と、芸術文化の未来」の終盤で梅棹忠夫は、文化政策は防衛に値する国を作る安全保障だ、と主張している。即ち、文化国家である事は、同時に侮られない国である事だ、とも。しかも、関西文化学術研究都市(けいはんなの正式名称)の所轄は防衛庁がいい、とさえ発言している。京都が原爆の標的から外された事を意識しているのだろうか。実に、5/1に触れたけいはんな地区と祝園弾薬庫の話と微妙に重なって来るのだ。
それにしても総合芸術センターは明らかに「芸術の」施設ではなく、一歩引いて側面支援する「芸術の為の」施設だ。通常の文科系の学者にはこうした発想は滅多に出て来ない。国家防衛の話も右翼的ではない。こんな所に、梅棹忠夫の冷静さを感じてしまう。
「地域と世界と、芸術文化の未来」はその最後、梅棹忠夫他6人の識者の連名で、総合芸術センターの早期実現を要求している。それは1994年11月1日。その後の1996年4月、けいはんな地区の開発方針をまとめたセカンドステージプラン(www.mlit.go.jp/crd/daisei/daikan/ps090530.html)には「新しい芸術文化創造、文化遺産の保存·活用の中枢の形成」と云う表現があり、総合芸術センターの建設が意識されていた様子が窺える。2001年の「人にやさしいまちづくり推進方策調査」(www.mlit.go.jp/crd/daisei/daikan/kangaku_report/13hito_1.html)でも総合芸術センターが構想中と位置付けられており、建設したい意識は残っていた。その後、セカンドステージプランに続くサードステージプランの策定に於いては、総合芸術センターが出来ていない事に触れた参考資料(www.mlit.go.jp/crd/daisei/daikan/tsp_iinkai/sankou4.pdf)が提示されてはいるが、2006年3月の報告書は(財)国際高等研究所、国立国会図書館関西館、私のしごと館の建設や平城旧跡の整備、その他ロボットによる支援技術の研究等で関西文化学術都市の「文化」の部分が推進出来ている様な主張をしており、総合芸術センター構想の匂いは消えている。
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私のしごと館と梅棹忠夫構想 |
2009年5月1日(金) | |
Infoseek
今日は晴。厚労省
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