綾紫の閑散日記
2011年3月1日〜3月30日

 
近大高専
2011年3月30日(水)
今日は晴。私のしごと館の再利用の目処は立っていないのに対し、名張市にあった皇學館大の土地·建物は空白期間を産む事なく、4月以降、近大高専にそのまま引き継がれる事となっている。(1)伊勢新聞によれば2/19に熊野市で最後となる近大高専の卒業式があった模様。在校生は殆ど名張に移るとも。また、(2)毎日によれば、3/9には熊野市議会定例会で市は、
  • 近大本部(東大阪市)が方向性を示していないので、市として先駆けて検討するのは難しい。
  • 2月1日に近大本部の総務課長がみえた時に跡地問題について伺った。近大本部が活用方針を固めて連絡していただくことを願っている。
と答弁している。東日本大震災はその2日後。
  • 熊野市の近大高専の敷地は9万9183m2あり、運動場や体育館などを備える。
とあるので非常に広い。高専施設であれば食堂·厨房があるので食事にも困らず、多数の教室を居室向けに改装さえすれば、被災者を集落毎にまとまって受け容れる避難所に適しているのではなかろうか。現在「近大高専 避難」や「近大高専 被災」をキーワードとしてgoogle検索してもそれらしい話題は出て来ないが、市や近大ではそうした検討を始めているかもしれない。
 

(1)伊勢新聞(www.isenp.co.jp/news/20110220/news04.htm)


(2)毎日(mainichi.jp/area/mie/news/20110310ddlk24010318000c.html)
 
 
残念ながら不向き
2011年3月29日(火)
今日は晴。京都府が避難所としての活用を検討していた私のしごと館、残念ながら被災者を受け容れる施設としては不向きの模様だ。(1)毎日が報じている。先ず、
  • 町には17、18の両日に「避難所として活用すべき」とのメールが約10件寄せられ、19日に府に対し、利用の可否を相談した。
とあるので、私のしごと館を活用する案は精華町が出した模様。そして、
  • カーペット張りのスタッフ用会議室や控え室など約30部屋(広さ約50m2〜200m2)については利用可能と判断し、収容人数を450人と見積もっている。
と云った具合で、すぐに居住空間として利用な部分も存在する。しかし、
  • 府が同機構の協力を得て、22日に現状確認したところ、展示スペースの床は石張りで天井も高く、寝泊りに適していないことが分かった。
  • 受け入れ環境を整えるには、閉館後契約を打ち切っている電気の大口電力の契約や大掛かりな清掃作業が必要と分かった。
  • かつて営業していたレストランも厨房機器が撤去され、調理に使用するのは難しい。
とあり、課題が山積み。結局今の処、
  • 旧しごと館の使用を最優先して考えるメリットは少ない。
と云う消極的な姿勢に落ち着いている模様。要するに、避難所として活用するにはすぐに住める事が重要で、改装その他整備が必要な施設にも関心を払う程の切迫性を京都府は感じていない様子。

ところで筆者の知る範囲で大規模な空き箱と云えば、他に熊野市の旧近大高専があったが、何か検討しているのだろうか。
 

(1)毎日(mainichi.jp/area/kyoto/news/20110329ddlk26040610000c.html)
 
 
けいはんなの思い出
2011年3月28日(月)
今日は晴。筆者はかつてけいはんなプラザに通勤していた。その当時の思い出をここに挙げよう。いずれも2005年7月24日の写真だ。(1)先ず、けいはんなプラザから見た北側の区画。造成中だった。今では中小企業の集積地となっている。(2)東に眼を向けるとホール·ホテルから成る交流棟。左から順にユータウン、現在のアピタタウン、コーナン、食彩プラザ、国立国会図書館関西館が見える。アピタタウンは時期的にはオープン前。遠くには私のしごと館の屋根らしき物体も見える。(3)木津川台の奇妙な形のマンション群を拡大。広大な更地、道路を挟んで手前は不動産会社、向こうは大阪ガスの所有地だ。筆者がけいはんなプラザに来て以来、ずっと更地だった。それこそ、仮設住宅を建てて東日本大震災の避難街にすればどうか。時計回りに南寄りの方向に眼を向けると、(4)ATR。正式名称は(株)国際電気通信基礎技術研究所。遠くに見える街並は精華町桜が丘か、奈良市神功か。ともかくけいはんなとその周辺は自治体の境界が入り乱れた地域である。右上の山並を越えて見える白い点は、奈良ドリームランドかもしれない。この頃は未だ営業中だった筈だ。更に回って(5)NTT京阪奈ビル。コミュニケーション科学基礎研究所が入居する。あやめ池遊園地の遊具も、2004年6月6日迄ならば少しだけ覗いてた。また回って(6)東寄りに眼を向けると住宅街。現在であれば右上の少し開けた部分に学研奈良登美ヶ丘の駅が見える。

さてこの頃、奈良精華線を経由し、けいはんな地区と学園前とを結ぶバスが走っていた。筆者は途中で下車し、奈良精華線をどんどん南に歩いた。(7)秋篠町付近から北の方角を望む。左に少しだけ頭を覗かせている青い給水タンクは、写真(4)右上の青い給水タンクと同じだろうか。こんな事を想像するのも、実に楽しい。
 

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私のしごと館を避難所として活用
2011年3月24日(木)
今日は晴。閉館後、1年近く塩漬けになっている京都府精華町の私のしごと館を、東日本大震災の被災者向け施設として有効活用する動きが出始めた。(1)京都新聞によれば、京都府と厚生労働省が調整に入っており、既に現地調査。400〜500人収容可能。精華町も協力の意向。一方、(2)産経によれば、正式に京都府が厚生労働省に借り受けの申し出をするかどうか、まだ考慮段階。京都府の受け入れ目標は5000人だが、現在確保出来ているのは2400人分との事。

私のしごと館は厚生労働省下の(独)雇用·能力開発機構が2003年3月にオープンした職業体験型博物館だった。だがその当時、アメリカの情報通信バブルの崩壊により、世界中が不況に苛まれていた。その上、(独)雇用·能力開発機構は造り過ぎた保養施設を投売りしていた。だから私のしごと館は常に無駄呼ばわりされ続けて来た。厚生労働省は2008年に有識者を集め、検討会を行い、民間に運営を委託する事で効率化を目指していたが、政府内の行革勢力に負けたのか、2010年8月迄の廃止を受容。その後2009年には地元の首長も交えた検討会を行い、有効活用の途を探ると共に、2010年3月一杯で廃止する事を決定。そして入札を2度実施し、応札者が現われないまま今に到っている。

厚生労働省は本来、人助け省である事を思えば、この様な施設が避難所として有効活用されるのは非常に望ましい。また、私のしごと館があるけいはんな精華·西木津地区は僻地の様に云われているが、スーパーやホームセンターもあるベッドタウンとして少なくとも生活に不便を感ずる地域ではない。よって、私のしごと館を避難所として活用する案に、筆者は賛成する。
 

(1)京都(kyoto-np.jp/politics/article/20110323000098)


(2)産経(sankei.jp.msn.com/region/news/110324/kyt11032402030000-n1.htm)
 
 
平城遷都1300年祭その他の動き
2011年3月22日(火)
今日は曇。平城遷都1300年祭の収支だが、(1)朝日によれば3億円以上の黒字。自治体や民間が金を出したので、厳密に云えば黒字ではなかろうが、入場者も目標を上回っており、2009年の横浜開国博とは対照的にひとまず成功と見做されている様子だ。だが、「成功を一過性のものにせず」とあるが、東日本大震災の影響で観光どころではなくなってしまうかもしれない。

さてその黒字の使い道だが、(2)日経によれば奈良県は、関連イベントとして開催した「全国都市緑化ならフェア」の黒字と合わせ、震災に対する見舞金に充てる模様。この他被災者の受け入れも考えている様子だが、関西広域連合に参加していない事もあってか、今一つ遅い印象は拭えない。奈良県は関西広域連合に対しては連携団体としての関連を保っているから、こんな時こそまとまって行動出来ないだろうか。

ここで話は変わるが、(3)毎日は、生駒市の高山第2工区開発が暗礁に乗り上げた様子を報じている。高山第2工区は関西文化学術研究都市の一角として288haに2万3000人が住むニュータウンとなる筈だったが、2007年に生駒市が協力しない事を決め、(独)都市再生機構も中止を決定。その後、奈良県が県立大·県立医大や首都圏の有名私大の誘致を念頭に置いた構想を出した事から検討がまた始まった。しかしまた2010年10月、奈良県が構想を撤回。少子高齢化を思えば、開発しないのが得策だと筆者は思うのだが。

それから関西文化学術研究都市に連なる話題だが、(4)読売によれば明治時代の僅か9年間、加茂-奈良を走った大仏鉄道の遺構が保存される模様。関西文化学術研究都市·木津中央地区の開発で取り壊される可能性もあったが、道路を迂回させる事で決着。梅棹忠夫の発案とされるが、関西文化学術研究都市は筑波と異なる特徴を出すべく、「文化」も標榜している。余り知られていない事だが、平城宮跡一帯が含まれているのもその為である。私のしごと館も、地元は博物館の1つとして受け取っていた。となれば、大仏鉄道の遺構も街造りの一環として位置付けられるのではあるまいか。
 

(1)朝日(mytown.asahi.com/areanews/nara/OSK201103190054.html)


(2)日経(www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819695E0E0E2E1998DE0E0E2E1E0E2E3E39191E3E2E2E2)


(3)毎日(mainichi.jp/area/nara/news/20110318ddlk29010427000c.html)


(4)読売(www.yomiuri.co.jp/national/news/20110306-OYT1T00501.htm?from=navlp)
 
 
けいはんなプラザ界隈
2011年3月13日(日)
今日は晴。

2日には私のしごと館東側の企業施設を紹介したので、撮影日は昨年11月から12月だが、西に足を向けてみよう。先ず、私のしごと館から1km程西には、地域の中核的施設であるけいはんなプラザ。精華大通り北側。筆者はある時期、けいはんな地区に通勤していたが、まさにその場所だった。左側はラボ棟、企業や研究支援機関が入居している。右側は京都府立けいはんなホール。様々なイベントが開催されている。東から見ると(2)ホテルも併設されている様子が分かる。それからけいはんな地区は最近、スマートシティ(環境·エネルギーに配慮した都市)の実証実験地区としても採択されており、(3)電気自動車の急速充電スタンドが設置されている。但しこの時には電気自動車は見掛けなかった。けいはんなプラザの向かい側には(4)ATR。正式名称は(株)国際電気通信基礎技術研究所。基礎研究所とは称しつつも、応用開発研究にも熱心に取り組んでいる。右に見えるはけいはんなプラザの日時計。けいはんなプラザの(5)ホールとホテルを結ぶ場所もちょっとした広さがあり、毎週水曜日昼にはピアノコンサートが開催されている。

さて、けいはんな地区は何時迄経っても空き地が埋まらない事からド田舎の様に云われているが、最近では「研究機能と生産機能を併設した施設は認める」と云う規制緩和により中小企業の進出が目立っている。けいはんなプラザの北側もそうした区域の1つで、(6)日本伸縮管(株)ニューロン·ラボ、(7)(株)プロテックスジャパン、(8)(株)京都栄養化学研究所、(9)(社)関西電子工業振興センターが見える。となると、私のしごと館跡地の活用法に関する答えが出ている様に思うのだが。

けいはんなプラザから東に進むと、精華大通り南側に(10)国立国会図書館関西館。もっと行けば更地の奥に(11)異様な建物。水道タンクだと聞いた事がある。

なお筆者は時折、奈良市内に於いてけいはんなプラザが見える場所を紹介して来たが、(12)とあるビルの屋上からも、遠くにあるのが分かる。
 

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お水取り
2011年3月12日(土)
今日は晴後曇。東大寺二月堂のお水取りと思われるオレンジ色の輝点を狙った。
 
 
 
私のしごと館の意義
2011年3月3日(木)
今日は曇。私のしごと館は特別会計の1つ、雇用保険で運営されていたが、これが雇用保険法から逸脱していると云うのが筆者の持論だ。従って、もし一般会計で運営されていたならば、私のしごと館は国立·独法の美術館·博物館の1つに過ぎず、取り立てて批判されるべき理由はなくなる。

それでもなお、目的に適う施設か否か、と云う点では筆者は否定的だ。

かつて日本がバブル経済に浮かれていた頃、若者の早期の離職、転職が問題視されていた。その原因として若者自身が自ら何をやりたいかを知らないからそうなるのだとする発想が何処からか浮かび上がり、解決策として体験教育(職業キャリア教育)を行うべきだ、とする考えがまとまった。その後バブルは崩壊したが、特に厳しい不況に喘いでいた関西地区には自民党の有力者がいた為、対策として箱物を誘致する事に。そこからけいはんな学研都市に於ける職業体験博物館「勤労体験プラザ」の建設、と云う決断がなされ、私のしごと館が完成。

以上が筆者の理解している粗筋だが、変な点が2箇所ある。先ず若者の早期離転職だが、これはバブルの頃の日本が若者を甘やかしただけ。次に、自分が何をやりたいか分かる事が必要だ、とする発想の裏には、希望が何でも通用すると云う、社会に対する甘い期待が前提として存在している。それにそもそも、職業キャリア教育なんか行わなくとも、日本は戦後復興も、高度成長も達成した上、石油ショックも乗り越え、1980年代には品質大国としてアメリカを震撼させ続けた。

私のしごと館は職業キャリア教育の為の重要な施設だとする意見が散見される。だが、けいはんな地区を代表する団体である(財)関西文化学術都市推進機構(kri-p.jp)は私のしごと館を、「図書館/記念館/博物館等」と位置付けていた。要するに文化事業であり、その神髄は、教育と云う、やったらやっただけの効果が期待出来る(とみんなが思い込んでいる)事業とは相容れない。その意味では私のしごと館の存在意義はない。但し職業活動を人類の近現代遺産の1つ、と見做せるならば、その存在を良しとする様な理論武装の道が開けて来る。

どうだろう。
 
 
私のしごと館周辺
2011年3月2日(水)
今日は曇後雨。ついでに私のしごと館周辺の施設の写真を挙げる。私のしごと館から精華大通りを東に進み、京奈和道を越えると(1)井上製作所。それから(2)カゴヤジャパン。奥にあるのは同志社大·学研都市キャンパス。かつてはキヤノンの研究所だった。そして(3)ダイタミックツール。振り返るとこの3社が夕陽を浴びている。最近ではこうした中堅中小企業が多い。また東を向くと(5)学研都市病院の手前の区画で工事をしている様子だ。見上げると(6)こんな感じ。また企業が進出するのかもしれない。となれば私のしごと館を有効活用する1つの回答は、内部を分割し、けいはんなプラザには収まらないが、自前で建物を建てるには至らないレベルの企業·団体に賃貸する事ではなかろうか。その際、純然たる研究のみならず、試作生産機能も有する施設も入居出来る規制緩和が不可欠だ。
 

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私のしごと館は地域を分断
2011年3月1日(火)
今日は雨後曇。私のしごと館が閉鎖されてもう1年近くになる。私のしごと館は2003年3月、(独)雇用·能力開発機構により開設された職業体験博物館だったが、赤字が問題視され2010年3月31日、即ち2009年度一杯で廃止となった。その後の売却や有効活用も出来ないまま、今に至っている。2003年と云えばスパウザ小田原等のホテルやホールの運営が問題視されていた頃だっただけに、私のしごと館もオープン前から批判されていた様子がネット上では散見される(www.zakzak.co.jp/tsui-sat/tsuiseki/contents/2002_10-03/030301_05.html)。結局、税に比べ査定の甘い雇用保険で地元に仕事をばら蒔く事が目的だったとしか云い様がない施設だった。

2010年6月5日夕方に撮った写真があるので掲載しよう。

先ず(1)木津川台駅。私のしごと館を含む地域一帯の玄関口が新祝園駅とされているが、ここでは1つ手前で降りて西向きに歩く事とする。途中で(2)地図が見えてきたが、私のしごと館は「同志社大学」となっている箇所の左側に相当する区画にある。この付近一帯は戸建が多いが、(3)マンション地帯でもある。途中から北に折れ、京奈和道西沿いを進むと(4)注意書きが。もう、私のしごと館の敷地である。もっと進むと私のしごと館の特徴である(5)赤いモニュメントが覗ける。私のしごと館は精華町、木津川市に跨る施設で、その境界を示している。そして(6)赤いモニュメントの直下。ついでだから(7)反対側に抜けた写真も挙げよう。赤いモニュメントは建物の中から突き出ている。何とも無駄な造りである。精華大通りに達したら西に折れる。(8)有名な眼の赤いキャラが描かれたガラスの看板がある。うっすら、筆者と向かいのマンションが映っている。少し歩くと(9)出入口。雑草が繁茂。精華大通りに面しているが、通用口の様な印象が否めない。近付いて見ると(10)入るな、との貼り紙。(11)地図があったので挙げる。字が小さいが、「勤労体験プラザ」とあるのが私のしごと館。敷地が南北に走る道を分断している。この点は後で触れる。それにしても(12)こうやって見ると横に長いだけでなく、高層ではないがやはり縦にも巨大。どんどん歩くと(13)少し開けた処に出た。近寄ると(14)入口とあるが2Fの様子である。この敷地は傾斜地だから、こんな事もあるかもしれない。それにしても向こう側が透けて見える総ガラス貼。空調コストの増大や、内装物の日焼けが問題になりそうだ。こちらは建物の西側から突き出た例の(15)赤いモニュメント。写真(5)·(6)·(7)と比べれば確かに見上げる感じがせず、ここは2Fなのかもしれない。西側から中を覗くと、(16)旗がぶら下がっている様に見える。こんな(17)投票箱も。遺品の1つだ。南西から見た(18)私のしごと館。公式ホームページもこの方角からの写真を採用していた。この辺りが開けているのは車の出入口になっていた為だが、(19)北を望むと丁度、この敷地が道を分断している事が分かる。(20)南側も同様。だから(21)近所の住人の散歩道にもなっているが、今後有効活用されたとしても、南北の通行が塞がれるとなれば地域にとっては迷惑だ。
 

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