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日経の不逞な挑戦 |
2012年6月26日(火) | |
今日は曇。訳有って日経電子版[1]から登録解除。不要不急なダイレクトメールは沢山来るのに、肝心の日経サイトの記事へは入れなかった為だ。しかしならがら「なお、日経IDは引き続きご利用いただけます。」と云う表現は意味深長。一旦、覚えたメルアドは忘れないぞ、と云う不逞な挑戦か。
![]() [1]日経 | ||
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朝日印刷 |
2012年6月21日(木) | |
今日は雨。5/15にも触れたが、(公財)関西文化学術研究都市推進機構[1]によれば、富山市の朝日印刷(株)が木津川市に進出する模様。敷地面積は2万5400m2。これ迄と違う処があるとすれば、
![]() [1](公財)関西文化学術研究都市推進機構(www.kri-p.jp/review_mt/2012/06/2458.html) | ||
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メガソーラー |
2012年6月18日(月) | |
今日は曇。(公財)関西文化学術研究都市推進機構[1]によれば、「けいはんなメガソーラー検討協議会」がけいはんな地区で検討中の目がソーラーの候補地を、精華町内の15.6haと、木津川市と同町にまたがる11haの土地に絞り込んだ模様。共に大手企業が所有する造成地。さて、この土地が何処かだが、後者は精華町と木津川市にまたがっている事から、私のしごと館の西隣の土地で、大阪ガスが所有。では前者だが、そのまた西隣の更地は15.6haには届かない。となると関西電力が所有するL字型の土地が残る。結局、まともと云うか、メガソーラーはエネルギー企業の手に落ちる事になる。 このメガソーラー、けいはんな地域がスマートコミュニティの実証試験の場として選ばれ、更に国際戦略総合特区の指定を受けた事がきっかけだろう。しかしけいはんな学研都市は気象条件を考慮すると必ずしも好適地ではない。筆者はある時期この地域に通勤していたが、どうも雲の通り道の様な場所で、関西の他の地域と比べ、雨の日が多い。しかもこれは筆者だけの印象ではなく、雷が多いと云う証言もある。どれだけ有効に発電出来ることやら。 ![]() [1](公財)関西文化学術研究都市推進機構(www.kri-p.jp/review_mt/2012/05/22012423.html) | ||
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私のしごと館 |
2012年6月12日(火) | |
今日は雨後曇。産経[1]によれば、京都府は京都市と共同で、特区に関する提案を行ったとある。ここで見逃せないのは、国有財産となった私のしごと館の無償譲渡を求めている点。これは既に指定を受けた「関西イノベーション国際戦略総合特区」に含まれる内容に過ぎないが、建物だけか、土地も含めてか、と云う点は問題。私のしごと館の敷地は京都府土地開発公社が150億で(独)雇用·能力開発機構に相当する組織に売却された土地である。私のしごと館の廃止が決まった頃の鑑定価格は33億だから、京都府土地開発公社はそれだけでも大儲け。更に、無償譲渡の対象に土地が含まれているとなると、150億がそのまま国から京都府に渡った事になる。 全く話題に登らないが。 ![]() [1]産経(sankei.jp.msn.com/region/news/120605/kyt12060502090002-n1.htm) | ||
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リニア新駅生駒vs大和郡山 |
2012年6月7日(木) | |
今日は曇時々晴。リニア奈良駅誘致合戦が活発化している。奈良新聞[1]によれば、生駒駅に「次世代の夢、リニア新駅を生駒へ」と云う看板が5/22、設置されたとある。一方、毎日[2]によれば、大和郡山市では建設促進期成同盟会が発足。両市共、誘致には熱心だ。 しかし奈良市は殆ど動いていない。この温度差、何故だろうか。 また、もし生駒市即ち学研高山第2工区に新駅が出来るとなると、線路は精華町、木津川市を通過せざるを得ない。であれば学研都市の精華町域、木津川市域への新駅誘致を京都府が主張する事もあり得るが、どうだろう。この点、京都府が含みを残している様子だ。京都新聞[3]によれば、
![]() [1]奈良新聞(www.nara-np.co.jp/20120523093335.html) ![]() [2]毎日(mainichi.jp/area/nara/news/20120606ddlk29020558000c.html) ![]() [3]京都新聞(www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20120529000169) | ||
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金星の太陽面通過 |
2012年6月6日(水) | |
今日は曇後晴。金星が太陽を横切った日。雲が厚く、出勤前に見るのを諦めた。
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光台20年 |
2012年6月4日(月) | |
今日は晴後曇で、部分月食は確認出来ず。5/29には光台20年の評論を何れ行う、と書いたのでそうしよう。筆者がけいはんな学研都市(けいはんなプラザ)に通っていたのは1996年1月からであった。毎日によれば光台7丁目の入居が始まったのは1992年であり、4年の差があるが、「閉塞感」と云う言葉は筆者も感じていた処である。何しろ、バス便が少ない。のみならず、当時は街の顔である精華大通は木津八幡線が繋がっていないから機能せず、新祝園駅を発着するバスは田舎臭い山道を走っていた。そして木津川市に属する木津川台や後に開発される精華台に比べ、新祝園駅を基準とすると光台は奥まった場所にあるから、陸の孤島の様な印象は否めない。 実はその頃、けいはんなプラザへは在勤者向けの専用バスが高の原駅から発着していた。高の原周辺は新祝園周辺に比べ、まだしも開けた場所である上、道も距離では若干、不利ながら、太い奈良精華線(大和中央道)が通じており、そこから折れれば高の原←→光台の正規のバスを走らせる意義は充分にある、と思っていた。裏技として西大寺·押熊線の延長もありかと。しかし高の原路線が実現したのは僅かな期間であり、近鉄けいはんな線の開通と伴にその必要性も薄れた。 バス路線小史になった。 | ||